3.11後に中園さん自らが企画提案
中園健司さんと私は、最初は『ルームシェアの女』というよるドラのコメディでご一緒して知り合いました。
脚本家と制作者としてガッチリ組んだのは、私がオリジナルで企画した土曜ドラマ『ジャッジ』が最初です。西島秀俊さん主演の、南の島の裁判官のお話です。制作は大阪放送局でした。
中園さんは、オリジナルを書く時には、とにかく取材から始めたいとおっしゃって、取材している間は、どういうストーリーにしたいという話を一切教えてくれないんですよね。私が企画書に書くあらすじに関しても、いいとも悪いとも言わない。
『ジャッジ』の時は元裁判官や島の人々に、今回の『東京が~』では元年少消防官の人々に、直に話を聞くところから始める。そういう方でした。
本当は中園さんご自身がお話してくれればいいんですが、残念なことに昨年10月にガンで亡くなられました。病気のことがわかる前にシナリオは完成していました。
僕が中園さんと一緒に作ってきたという経緯があるので、今回このような場で皆さんにお話しさせてもらうことになりました。
今回のドラマの原案となったのは、中澤昭さんの『東京が戦場になった日―なぜ、多くの犠牲者をだしたのか!若き消防戦士と空襲火災記録―』(近代消防社)という記録本です。
第二次世界大戦下、二十歳前後の理科系の学生たちは徴兵を免除されていました。昭和19年の秋くらいから、つまり空襲が本土に始まる頃から、そういう人たちまでもが「学徒消防隊」として集められました。
また、18歳未満の、あと少しで戦地に送られる年齢の若者たちは、「年少消防官」として集められ、消防署で勤務させられたのです。
この史実を知った中園さんが、原案の本を元に企画書を書き、私のところに持ってこられました。それがちょうど2011年の夏。
皆さんご存知の通り、その年の3月に東日本大震災があって、人々が非常に大きなショックを受け、これから日本はどうなっていくんだろうという不安感に包まれていた時です。
震災の現場や福島では、ハイパーレスキュー隊が活躍したこともあって、困難と戦う消防隊が注目されていました。
災害と戦争ではまったく違いますけれども、そういう状況下で戦う学徒消防隊、または年少消防官を主人公にした終戦ドラマをやろうと、中園さんと私で企画を立てて提出したところ、企画は割とすんなり通りました。
でも実は、初めに中園さんの持ってきた企画は、学徒消防隊・年少消防官をやるというものではなかったんです。映画化を前提とした、戦争スペクタクル巨編でした。
具体的に言うと、B29と零戦が空中戦をやったり、そういう中で飛行兵を目指していた少年が挫折して消防官になっていく……というようなプロットでした。
私から「テレビの規模で消防隊に特化したドラマにしましょう」と提案し、中園さんとのやりとりを経て、学徒消防隊の話で行こうと決まったのが、2011年の12月のことでした。
ある日部長から電話があり、「あの企画が通ったからすぐに準備を始めるように」と言われたんです。「2012年8月の終戦時期に間に合わないか?」と言われましたが、この規模でやるなら無理ですと。というわけで、2013年の3月の放送を目指して、中園さんとの脚本作りがスタートしました。