「シナリオのテクニック・手法を身につけると小説だって書ける!」というおいしい話を、脚本家・作家であるシナリオ・センター講師柏田道夫の『シナリオ技術(スキル)で小説を書こう!』(「月刊シナリオ教室」)からご紹介。
今回は小説の比喩表現について。情景や人物や心理を描写するときに比喩表現を使うと、映像イメージとして読者に分かり易く伝わる反面、あまりにも分かり易すぎると小説家として表現力の稚拙さが目立ってしまいます。つまり、小説の比喩表現で映像イメージの善し悪しが決まってしまうのです。映像イメージが伝わり、なおかつ情景や人物や心理を巧みに描写した比喩表現はどのようなものか。柏田流の考えをご紹介。
巧みな描写は映像表現がキーになる
文章における「描写」は、主に「情景描写」「人物描写」「心理描写」があると述べました。
できるだけ的確に、人物(もしくは神的な視点で)が見ている風景や、その世界の状況を「情景描写」として描く。さらに、その視点者本人であったり、視点者の見た目で別の誰かを、どういう容貌や恰好をしているか?
加えて人物の紹介や、キャラクターに関するもろもろの情報などを読者に伝えるのが「人物描写」。
そして、これらを描きつつ、視点者や登場している人物の心情や心理、心の動き、考えていることなどを表現するのが「心理描写」です。
「描写」に対するのが、いわゆる「説明」ですが、これも当然必要となります。
理想としては的確な「描写」をしているうちに、読者に伝えておきたい情報を伝えておくこと。
で、巧みな「描写」は、「映像表現」がキーになります。
「情景描写」はまさに視点者の人物で(神的な視点であっても)、キャメラが映していくように表現できるか、というのは分かりますね。
「人物描写」も表面的な容姿や扮装、動作や様子などをキャメラによる映像のように描けると伝わります。その人物に関する情報、さらには心の動きなどを加えると、人物の紹介になりますし、「心理描写」にもなる。
比喩こそ映像イメージの善し悪しを左右する表現方法
さて、そうした文章による表現手法で、書き手の腕、表現力の差が出るのが、いわゆる「比喩」です。
何かに喩えることで、イメージを的確に読者に伝えられる。比喩を使うことで、何行もの文章で説明することでも、一行とかで表現ができたりします。
ただし、この比喩表現はその書き手のセンス、技術が求められます。
的確でない比喩であったり、いわゆるありふれた慣用句的な比喩(これはイメージを伝えるのにとても便利だったりする)を安直に使うと、一発でその書き手の文章は、「アマチュアのダメ表現」という烙印が押されてしまいます。
(この“烙印が押される”も慣用句的な比喩ですね。この慣用句表現についてはまた別の回で)
以前、宮部みゆきの『ぼんくら』の主人公、井筒平四郎の描写を引用して、“比喩については、諸刃の剣です”と書いたのはそうした意味です(※その詳細はこちらのブログ「小説の描写と説明」をご覧ください)
ともあれ、ブログ「小説の描写と説明」で引用した“井筒平四郎は働き疲れた馬があくびをしたような顔をしている。”
さらには、“平四郎の巻き羽織はいつも、彼の痩せた体の両脇に、景気の悪い旗印のように垂れ下がっている。”
といった比喩。
さらには、向田邦子『花の名前』で、夫の浮気相手からの電話で、それを受けた常子の心情を表した巧みな比喩、“まさかとやっぱり。ふたつの実感が、赤と青のねじりん棒の床屋の看板のように、頭のなかでぐるぐる廻っている。”
という表現。
この3つの文章を読んで、皆さんはどういうイメージを思い浮かべたでしょうか?
宮部表現ならばそれこそ、「薄汚れた馬があくびをしている顔(様子)」であったり、「旗印(は分かりますね)が風もなくて、だらしなく下がっている様」でしょう。
さらには向田表現のなんとイメージしやすいことか。赤と青の(もうひとつは白ですが)、あの誰もが知っている「床屋さんのポール看板がグルグルと廻る様」。それがまさかとやっぱりという相反する感情として、たった1行で伝えられています。
比喩こそが実は、「映像イメージ」の善し悪しを左右する表現方法なのです。
出典:柏田道夫 著『シナリオ技術(スキル)で小説を書こう!』(月刊シナリオ教室2017年3月号)より
★次回は12月1日に更新予定です★
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