求めているものほど、近くにある!?
自分にとって大切なものって、近くにあればあるほど気づかないし、大切にすることが難しかったりします。そんなことをお盆にぼんやり思ったシナリオ・センターの新井です。
お盆だから故人を偲んで…と言うわけではありません。きっかけはTheYellowMonkeyの再集結後のインタビュー記事を、お休み中に読み返したことです。
再集結ライブのリハーサルを重ねていく中で
「『こんな素晴らしいグルーブがあったのに、何を解散さしとんじゃ!』って、そう思ったことがあって」 吉井和哉 『ROCKIN’ONJAPAN』2016年7月号より
と吉井さんがおっしゃっているのです。
解散から再集結までの15年間いろいろなことを経た中で、「求めていたものって、すぐ目の前にあったんじゃん」と気づいたということだと思います。
で、こういうことって、意外にみんな経験しているのではないかと思うのです。すご~く簡単にすると、高級なケーキや有名なお菓子をいくら食べても、一番好きなのはキットカット、みたいな。最期に食べたいのは、お母ちゃんの握ったおにぎり、みたいな。みなさんにとってのシナリオや表現することって、どんな位置付けでしょうか?
日本中の人にシナリオを書いてもらいたい!のきっかけ
私にとっては、シナリオ・センターがまさにそれです。
今は、日本中の人にシナリオを書いてもらいたい!と思ってますが、25歳くらいまではシナリオ・センターを自分の人生に近づけまいとしてましたから。ちなみに私の祖父は創設者新井一、母はシナリオ・センター代表なのにです。
では、なぜ働いているのか?
それは、25歳の時に私が抱えていた疑問に、おじいちゃん新井一の『シナリオの基礎技術』がバッチリ答えてくれちゃったからです。25歳までの私は、大学と大学院で古代ギリシア悲劇を研究するという、無用の用の学問世界に浸りきっておりました。晴耕雨読なんてもんじゃないです。晴れてても、耕さないもの、何も。
そこで、思ったのが、昔も今も人間のやっていることは変わらないのは何でなの?ということです。戦争したり、だましたり、ずるしたり、人より多くを得ようとしたり…
「人間が成長する方法ってないのかね」
という私のつぶやきに代表が一言、
「それってシナリオなんじゃないの?」
シナリオは、家の中にいた青い鳥
もうね、まったく意味不明でした。意味不明過ぎたので、「シナリオじゃないよ!シナリオ・センターを近づけないで」と論破するために『シナリオの基礎技術』を手に取りました。
なのに、なのに『シナリオの基礎技術』にはこんなことが書かれていたんです。
「(シナリオを書くためには)作家の眼が大切なのです。人間を見る眼、物を見る眼、そして社会を見る眼こそ、作品を高いものにする」 新井一『シナリオの基礎技術』より
これ、ひっくり返すとですよ、
シナリオを書くことで、人間を見る眼、物を見る眼、社会を見る眼という作家の眼が生まれるってことです。
自分自身について、相手について、そして相手との関係について、広くは世の中の様々なことがらについて、シナリオを起点に、自分なりの視点で客観的に見ることができるようになるってことなんじゃ…と思った瞬間、25歳くらいの私は、『シナリオの基礎技術』をパタンと閉じて叫びましたもん、堀こたつの中で。「うわー」って。「シナリオだ~」って。
で、シナリオについてもっと勉強したいと思ったら、シナリオ・センターに行くでしょ。さらにシナリオをうまく使って、作家の眼を一般の人にも身につけてもらいたいと思ったら、シナリオ・センターで働くでしょ…とあれよあれよと、です。
まさに、青い鳥は家の中にいた状態です。しかも祖父の新井一がそもそも「一億総シナリオライター化」を目指して、シナリオ・センター作ってるし…
吉井さんと同じと言ったらおこがましいですが、「『こんな素晴らしい基礎技術があるのに、何をさぼっとんじゃ!』ってならないようにしているつもりです。
皆さんにとっての『こんな素晴らしい○○があるのに、何をさぼっとんじゃ!』は何でしょうか。「○○」が、何か見つけられるかどうか…ですね。
シナリオ・センターの新井でした。
※※『こんな素晴らしい○○』を見つけること、シナリオでできます!※※
少し古い記事ですが、日本女子体育大学さんで実施した「キャリアカフェ」の内容の採録です。記事の公判で、『○○』の見つけ方を、学生向けに実施しています。すっご~く暇なときに、是非お読みください。
>>テレビドラマに学ぶ 「伝える」を「伝わる」に変える技術