脚本の勉強 になる映画『フォルトゥナの瞳』
2019年2/15公開の映画『フォルトゥナの瞳』。
【あらすじ】
――“フォルトゥナ”=運命の女神。その瞳をもった者は、死を目前にした人間が透けて見えてしまう――
幼少期に飛行機事故で家族を失った主人公・木山慎一郎。友人も恋人も作らず仕事のみに生きてきた。フォルトゥナの瞳をもっていることに気づき、自分の力に苦悩する木山だが、桐生葵との出会いによって、孤独だった人生に初めて彩りが生まれる。しかし、そんな幸せな日々も束の間、木山の目に映る街ゆく人々の姿が透け始めてしまう。そして、ついには葵までもが……。
原作は百田尚樹さんによる同名小説(新潮文庫刊)。
出身ライター 坂口理子さんが三木孝浩監督とともに脚色を担当されています。
映画『フォルトゥナの瞳』には、脚本を書くときの参考になることが沢山つまっています。
それはどんなところかというと、例えば、登場人物の貫通行動。
貫通行動とは、「主人公が自分の目的に向かって進むための一貫した行動」を指します。
シナリオ・センター創設者の新井一は、『シナリオ作法入門―発想・構成・描写の基礎トレーニング 』(映人社)のP106「シーンの機能⑤登場人物に貫通行動をもたせる」で貫通行動についてこう述べています。
【シーンの中に登場している人物は、必ず目的をもたなければなりません。これは明確に書く必要があります。用のない人物は、そのシーンに登場してはいけないのです。(中略)
これは私が、いつも口を酸っぱくして申し上げていますが、柱を書いたら、次のト書は、誰と誰が何しているかと必ず書きなさいと言っているのは、目的をはっきりさせるためです。誰が何をしているという行動は目的なのです】
この章の中で新井一は、誰が何をしているのかよく分からなくなってしまうシーンの例として【向かい合って話すと、どうしても理屈になって、説明的になりつまらなくなります】という風にも述べています。
自分で脚本を書いたとき、登場人物2人が向かい合って話すシーンが、必要だから書いているのにも関わらず「なんか面白くない…」と感じてしまったということ、ありませんか?
それは、その登場人物に貫通行動をもたせてないからです。
映画『フォルトゥナの瞳』には、木山と葵が向かい合って話すシーンが度々出てきますが、どんどん引き込まれていきます。
それはなぜか? 木山の貫通行動とは?その理由を是非確かめてください。
そして、今回ご紹介する坂口さんのコメントもご覧ください。
坂口理子さん
「原作を読んでいるかたにも、原作との違いとあわせてお楽しみいただけたら」
――ここは特に注目してほしい!というところは?
〇坂口さん:単純なハッピーエンドではないかもしれませんが、ほんの少しでも希望が持てるといいなと思って書きました。
ドキッとする描写もありますが、美しい映像が物語全体に透明感を与えてくれていると思います。
また、原作を読んでいるかたにも、原作との違いなどとあわせてお楽しみいただけたら嬉しいです。
――ここは外せなかった!というシーンはありますか?
〇坂口さん:主人公が愛する人のために全力で走るシーンです。「死」へ向かうのではなく、「生」きるために走る、そんなシーンになっていると思います。
――これは勉強になった!ということはありましたか?
〇坂口さん:やはり、たくさんの人と一緒にひとつのものをつくる、ということでしょうか。当たり前のことであり、基本中の基本だと思いますが、もう一度それを実感させていただき、その重要さ、難しさ、そして面白さをあらためて教えていただきました。
――脚本家を目指すシナリオ・センターの後輩にひとこと、お願いいたします
〇坂口さん:柔軟に、前向きに、ひたむきに。ヘコまず、腐らず、書き続けてください!
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※『月刊シナリオ教室 2019年4月号』に坂口さんのインタビューを掲載。併せてご覧ください。
※新井一著書『シナリオ作法入門―発想・構成・描写の基礎トレーニング 』(映人社)の詳細はこちらから。
※そのほか脚本家・小説家・映画監督の出身生コメントはこちらから。
シナリオ・センター出身の脚本家・小説家・映画監督の方々のコメント記事一覧『脚本家 ・小説家コメント記事一覧/脚本や小説を書くとは』をぜひご覧ください。