人間はものじゃない
シナリオ・センター代表の小林です。桜もちらほら咲き始めました。そろそろ春の様相です。
それでもまだまだ三寒四温の上、夜になると急に温度が下がったりするせいか、風邪引きさんも増えています。
天気予報をみて、面倒でもコート一枚などお持ちいただくといいようです。
体調管理に一番神経をつかう時期です。
新聞を読んでいたら、経済学者の浜矩子さんが言葉について書かれていました。
「ドラマとは人を描くこと」お伝えしている身としては、興味深い視点でした。
「人手、人材、人財、労働力、マンパワー。いずれも今に始まった表現ではない。以前から存在する言葉である。だが改めて並べてみるととても気になる。
これらの言葉に共通するものは何か。それは、一見して明らかだ。人間を人間扱いしていない。人を道具としてしか見ていない。
人手とはいうのは実に変な言葉だ。どこか「猫の手も借りたい」という言い方に通じるものを感じる。人手不足になってしまった。だから外国人労働力を受け入れる。こういう言い方で、人間を人間視しない言葉が重なり、絡み合う。気味が悪い。」
「人材というのは、素材や木材と同じ感覚で位置づけているのか。働く人々は材料なのか。
人財、財は経済用語だ。モノを意味する。基本的には人間扱いしていない。
人的資本、これは、人間を資本財と同一視している。労働力については完全に機械視している。
マンパワーもひどい。いかにも、使いつぶしのいく機械を追い求めているようだ。」と説明され、
「一体いつから我々はこんな言葉を使って働く人々を語るようになってしまったのか。
うたは世につれだが、言葉もまたしかりだ。いつの頃から、人は人扱いしなくなった。そのことが、言葉にも次第ににじみ出るようになった。」
言葉というのは言霊と言われるほど大事なものです。その人のすべてが言葉に乗っていくからです。
脚本は、小説はすべて「人間を描く」ことです。浜先生がご指摘のように人間を人間扱いしない時代になるのであれば、いや、なろうとしている現在、創作する者の勤めとしても、言葉を大切に、しっかりと人間を描いていきたいと思うのです。
受講生と講師の関係
土曜日に本科クラスの柘植講師が、ゼミクラスから離れるため、昔の生徒さんも含め送別会をしてくださったそうです。
私たちスタッフからもほんの気持ちの花束をお送りさせていただきました。
柘植講師は、生徒の時代から考えると本当に長い時間をシナリオ・センターに尽くしていただきました。
シナリオ・センターには、講師のほとんどが長く勤めてくださっています。
それは、受講生の方々とともに学ぶからできることなのです。
講師は、受講生の方々より、映像表現の技術は持っていますが、創作は技術だけでできるわけではなく個々の感性が大切です。
講師は技術をお伝えしますが、その部分では講師と受講生は同等なのです。
だから、先生と呼ばないでねとお願いしています。
講師自身も常に受講生の方々から刺激をいただいている、だからこそ楽しく授業をさせていただけているのだと思います。
柘植講師は本科からは去りますが、通信教育の講師としてまた頑張っていただけることになりました。きめ細かい添削をしてくださると思います。
柘植クラスの皆さんには、講師は変わりますが、また新しい出会いを楽しんでいただければと思います。
たくさんの出会いこそが人を育ててくれるのですから。