新学期
シナリオ・センター代表の小林です。 お花見日和の土曜日日曜日が終わり、桜の花びらも舞い始めましたが、月曜日の東京は寒いです。
桜もちょっと震えながらもう少し頑張ってくれるでしょうか。
今日から入学式のところが多いのでしょうか、新品の制服に身を包んだ中学生、高校生、お母さんに手を引かれている小学生にあちらこちらで会いました。
ピカピカの1年生は初々しくて未来が感じられて、うらやましいくらい素敵です。
姪の娘は中高一貫教育なので、学校内では4年生なのですが、高校進級にあたり、学年で2人表彰されたうちの一人として表彰状をいただきました。
家族、親戚中、誰一人まったく信じられませんでした。(笑)
学年で2人だけのもう一人はことのほか学業優秀な男の子だそうで、姪の娘は、成績は真ん中くらいでどう転んでも学業優秀とは言えないのです。
表彰状には、「人格を磨き学業の向上に努め他の模範として学校長から推薦されました。」とありました。
この一文を読んだ時とても嬉しく、この学校を選んで本当によかったなあと思いました。
中高一貫教育の受験校でありながら、成績優秀にこだわらず、彼女の人柄、努力する姿を認めてくださった先生たちにです。
学校というのは、どうしても勉強ができるというところに主眼をおきます。教育とはそういうものだと思い込んでいますから、文科省は。
もちろん、勉強は大事です。知識は必要です。でも、勉強は人としてどう生きるべきかということを考えるためものだと思うのです。
自分の生き方をちゃんと考えられる人は、他人に対しても理不尽なことはしません。
なぜなら人はみな違い、それぞれの生き方があることを知っているからです。
他人を認める、自らを御する、それが本当の「知」なのだと思います。
姪の娘自慢をしたかったわけではなく(しているか?(笑))、学校の姿勢に、シナリオ・センターが目指している「一億人のシナリオ」と同じ考え方を感じて、嬉しかったからです。。
都立なので、校長先生が変わると教育方針も若干変わります。
どうか、今のままで生徒を見守って下さる学校であってほしいと願います。
いも殿さま
出身ライター土橋章宏さんの小説です。 「いも殿さま」(角川書店刊)
主人公の井戸平左衛門は、島根で今も尊敬されている実在の人物ですが、その魅力をあますことなく描かれた土橋さんの筆力は見事です。
時は徳川吉宗の時代。全国を襲った享保の大飢饉に石見銀山の地に赴任した井戸平左衛門の物語です。
飢餓と悪政に喘ぐ石見銀山に赴任した井戸平左衛門は、江戸との生活の違いに驚き、農民たちの窮乏に心を痛めます。
そして、自ら先頭に立ち、役人と商人たちの癒着を切り、義金募集、公租の減免を断行。そして、ウンカやイナゴなどの災害に銀山坑夫や女手を使い、ウンカを退治し、抗夫と農民と心を一つにすることにも成功します。
食料対策100年の計を立て、薩摩からからいもを必死の思いで手に入れ、この地方で初めてからいも栽培を始めます。
それでも、困窮はとどまること知らず、ついには独断で幕府直轄の米倉を開き一人の餓死者も出さなかったばかりではなく、隣国から逃げてきた人々にも分け与えるなどしながらも危機を克服し、自ら幕府の沙汰を待たずに責任を取り、切腹します。
今時こんな為政者はいるでしょうか。
役人と商人との癒着、賄賂を自ら先頭を切って締め出し、帳簿をすべて洗って不正をみつけ改めます。
村々を自ら歩いて、村人たちの声を聴き、長雨、うんかやイナゴの襲来などで荒れ果てた田畑を見て回り、打開策を生み出します。
からいもを手に入れるために、銀の鉱脈を見つけるために、自分のお金を全部使い、着物は2枚だけ、刀も売り竹光、民のために清貧に甘んじます。
最後は、民のために幕府の米倉を開けて、責任をとって切腹します。
民を救うというのはそういうことです。為政者というのはこういう人でなければなりません。
現在の為政者と思わず比べてしまいます。
土橋さんは、あえて今このお話に取り組まれたのでしょうか。(笑)
この小説の肝は、芋で領民を救った名代官になるべく平左衛門のキャラクターです。
ひたすら精勤に励む真面目な勘定方で、一人息子とその孫をこよなく愛している優しいお爺さん。
特に、平左衛門は江戸中を食べ歩くほどの食通。中でも甘味には目がない。石見代官の役目を引き受けたのも、殿上人しか食べられない嘉祥菓子をいただけるという交換条件。石見に行く道中もひたすら食べ歩き、お菓子も山ほどもっていくほど。
こんな平左衛門だからこそ、江戸と石見の差に愕然とし、己の無知を恥じて、民が食べられるようになるまで菓子を絶ち、民が豊かになるために様々な方策を考えるのです。
この落差があってこそ、お話は際立ちます。
また、平左衛門の用人の藤十郎は思い込みの強い、女に弱い、自分自身が見えていない若者です。
平左衛門のやることなすことがわからず、辟易しながら腹を立て、批判しながら我慢している藤十郎が狂言回しであり、ただの偉人物語ではない平左衛門を浮き彫りにします。
ああ、ページをめくるごとに、現在の為政者たちに読ませたくなります。政治家、役人の道徳の教科書にされたらいかがでしょう。 (笑)
やっぱり土橋さんの小説は小説で終わらせず、今だからこその映画にしてみんなで見たいですね。
平左衛門は米倉を開けて、「生き抜け!」と民を諭し、百姓一揆を回避させ、桜のように潔く自ら腹を切ります。
一揆をおこしたくなるような社会であってはいけないと願うからです。
やっぱり映画にしたいです。議員会館で試写されてはいかがでしょう。一人でも平左衛門になってほしい!!