3・11
シナリオ・センター代表の小林です。今日、東日本大震災9年目を迎えます。コロナのおかげで追悼式典も行わなかったり、小規模になったりとしているようです。
でも、亡くなった方も遺された方も形式ではなく、ちゃんと覚えていることを望まれているような気がします。
死者・行方不明者2万2167人、未だに480万人が故郷へ帰れない状況であること、ほとんど復興が進んでいない事実をお上も国民もしっかりと受け止めて、向き合うことが、運よく被災しないですんだ者の務めだと思うのです。
実際に9年経っても帰れない方々は、やっとのお思いで避難先の生活を根付かせていらっしゃるわけですから、気持ちはあっても今更帰るという選択はとても難しいことでしょう。
特に原発被害の福島は、解除になった地域も決して放射線量が少ないわけではなく、100年経っても故郷に帰れない方もいらっしゃいます。
この時期になると各局でドキュメンタリーなどもやっていますが、前向きに頑張っていらっしゃっても、一人の力はいかんともしがたく・・・ということを感じさせられるものばかりです。
応援するということは、バックアップはどのようなことか、改めて考えさせられました。
少なくとも被災者の方々へ想いを馳せることを忘れないようにしたいと思っています。
ちょうど出かけた打ち合わせ先の大塚駅前に福島の有名なお菓子屋柏屋さんがありました。今日こそが絶対に食べる日だと「薄皮饅頭」を買い求めました。
私の今日できることなどは、こんなことくらいだったのですが、子供の学びの支援、放射線測定の援助など小さな積み重ねでも続けていきたいと思っています。
音の世界
昨日ご紹介した「桃鬼城奇譚」の中に西行法師の歌が出ていたのですが、思わず今の状況・・・って思ってしまいました。
「死出の山 越ゆる絶え間は あらじかし 亡くなる人の 数つづきつつ」
この歌は、武士というものが現れてから、戦に覆いつくされ、おびただしい人の死が絶え間なく重ねられていくことへの絶望感を西行法師が詠んだものです。。
今はコロナに置き換えてしまうわけですが、世界ではまだ戦争は収まらず400年も昔から同じことを繰り返しているのだと、人間の愚かさをしみじみ感じてしまいます。
人の死はどんな時でも、どんな形でも辛いものです。
3月21日22:00~22:50 NHKFMシアターで「2019年度BKラジオドラマ脚本賞」最優秀賞受賞の「家鳴り」が放送されます。
この作品は、大阪校の三谷武史さんの作品で、三谷さんはシナリオS1グランプリも2度も受賞されている実力者です。
このお話は、故郷のお母さんがくも膜下出血で旅立つとき、駆けつけた息子が、実家の家鳴りを聞きます。姉が家鳴りは、魂が家に入っていく音だとお母さんから聞いたと話し、古い木造が鳴るのは湿度の変化だろうと思いながらも、ミシッとなる音に想いを馳せます。
台風がおきた後、無人の実家を観にいった息子は、母親と仲良くしていた隣人から空き家のままにしないでほしいといわれ、カチンと来ます。
とはいえ、瓦もブロック塀も危ない状態なのですが、なかなか踏み切れません。そんなとき、引き出しの中から父親が書いた自分の結婚式のときのスピーチ原稿の下書きを見つけます。
そこには「自分が友達に臨んでいる通りに、友達にはふるまわねばならぬ」というアリストテレスの言葉が記してありました。
これを読んだ彼は、母に仲良くしてくれた隣人のためにも家を壊すことを決意するのです。
とても心優しいお話で、家がミシッと鳴る、その音に心が揺さぶられます。
音の世界を使った素晴らしいお話でした。
音でもシーンなのです。音がドラマを作っていくのです。音の世界は、セリフと効果音がものをいいます。
オーディオドラマ講座を担当してくださっていた故森治美さんは著書の「ドラマを創ろう 知っておきたい基礎知識」の中で、「音で描くドラマ、聴くドラマは、内容的にはあれもこれも欲張らず、シンプルで一本芯が通ったものにした方がいいのです。また、その中で使う音もあれもこれもと多くの音ではなく、少数精鋭ではありませんが印象的な音を選んだ方がいいというわけです。ドラマ内容ときちんと結ばれた音、リンクした音をです。それは音楽であれ効果音であれセリフであれです。」
森治美さんの言葉を頭に置きながら、このラジオドラマを是非聴いてみてください。