映画監督志望者の中には、「どうしたらなれるんだろう…」とお悩みのかたや、「この年齢ではもう無理かな…」と諦めかけているかたもいらっしゃるのではないでしょうか。
そこで、今年7月公開『河童の女』(配給: ENBUゼミナール)の監督・脚本を手掛けた辻野正樹さん(51歳)にお話をお聞きしました。なお、本作が初の劇場公開長編映画となります。
辻野さんは、ミュージシャンとして活動後、劇作家・演出家としてキャリアをスタート。シナリオ・センターで学びながら、数々の舞台脚本をご執筆。作・演出を手掛けた『勝手にノスタルジー』は2004年、フジテレビ『劇団演技者。』でドラマ化され、ドラマ版の脚本も担当されました。
「自分で監督したい」という想いから自主映画を撮るようになり、2011年にENBUゼミナールで本格的に映像制作の勉強を開始。2015年、自主映画『明日に向かって逃げろ』が横濱HAPPY MUS!C映画祭長編部門最優秀賞を受賞。2017年には初の商業作品となるホラーオムニバスDVD『奇々怪々譚 醒めない悪夢の物語』を発表。
そして2019年、ENBUゼミナール主催のシネマプロジェクト第9弾に『河童の女』の企画が選出。
同プロジェクトはENBUゼミナール卒業生だけがエントリーできるコンペ。役者はオーディションで選び、ワークショップをしながら最終脚本に仕上げ、劇場公開映画を撮っていくというスタイルで多くの話題作を生み出し、大変注目されています。
※YouTube
enbuzemi
映画『河童の女』予告編
『河童の女』は7月11日(土)から新宿K’s cinemaで、18日(土)から池袋シネマ・ロサほか全国順次ロードショー。
公開を記念して『月刊シナリオ教室 2020年8月号』(7月末発行)に、辻野さんのインタビューと『河童の女』のシナリオを掲載。
こちらのブログでは、『河童の女』のお話に加えて、映画監督志望者が特に気になる「年齢は関係あるか」「どうやってなったのか」「どうすればなれるのか」という質問にお答えいただきました。
Q1 『河童の女』はこれまでの作品とどこか違った部分はありましたか?
〇辻野さん:このシネマプロジェクトに向けて書いたわけではなくて、いくつか自分の中でストックしているやりたい企画があって、その中で今回一番あう企画はこれなんじゃないかな、というのでエントリーしました。
だから、「初めての商業映画だから新しいことに挑戦しよう」「これまでとは違うものを作ろう」とは考えていなくて。常に面白いものを作りたいと思っているので、今回も「自分が面白いと思うものを」という感じでした。
「役者さんが魅力的に見えてほしいな」という意識も、いつもあります。これは他の映画監督や脚本家よりも、もっているんじゃないかな、という気がします。役者さんがすごい好きなんですよね。
『河童の女』でいうと、ポスターにもあるメインの4人は、脚本にハマる役者さんを探すという感じでしたが、それ以外の役は、役者さんが決まってからその人を活かすためにけっこう書き直しました。演劇では、こういう出演者が先に決まって、その人たちを面白く見せるために作っていくみたいなやり方は多いんですよ。
それと、“説明するためだけに出てくる役”は、ないように。ストーリーをまわしていくためには、セリフで説明しないといけない部分もあるんですけど、説明のための役というのは一番面白くない役ですから。そういう役も面白くて魅力的にしたいな、というのがあります。
Q2 監督デビューするにあたり、年齢は関係ありますか?
〇辻野さん:僕は“51歳の新人監督”といわれていて、これはインパクトがあって面白いかなとは思うんですけど、51歳で新人がそんなに遅いのかな?っていう。
今って多分、映画監督になるには、自主映画から入ったり、制作会社の社員から転向したりとか、そういう流れが多いかと思うんですけど、昔は映画会社で助監督をコツコツやって、割と年を食って、おじさんになってから監督になることが多かったと思うので、51歳で監督することがそんなに特別ではないんじゃないのかなって。
あと、伊丹十三監督が『お葬式』で長編デビューされたのが51歳という話を聞いて、「なるほど、実は51歳ぐらいで初めて長編を監督するのってちょうどいいんじゃないのかな」とも思うんですよね。
ただ例えば、学生時代に映画を撮ったことがあって、今まで全然違う仕事に就いていたけど「51歳でいきなり映画監督を目指します」となったら、それが遅いというのはないと思うんですけど、「10年はかかるかも」と覚悟はしないとダメなんじゃないかなとは思います。
試しに1本撮ってみて、それがいきなり評価される可能性もないわけではないですが、これはすごくうまくいった場合ですから。
60代で活躍されている監督もいらっしゃいますので、51歳で始めて61歳で監督デビューしても全然いい。そう考えると年齢的に遅い早いというのはないと思いますが、 “覚悟”があるかどうかは大事だと思います。
Q3 映画監督にどうやってなったのですか?キッカケも併せて教えてください
〇辻野さん: 30歳のときに脚本を書き始めて、シナリオ・センターに入ったのが31歳。通いながら脚本家の仕事もちょっとしていました。
一番最初に自主映画を撮ったのが38歳。本格的に監督もやってみようと、42歳でENBUゼミナールで1年間勉強して、翌年、脚本家の事務所に入りました。そこでは「脚本家だけど監督もできます」みたいな感じでイメージしてくれて、『奇々怪々譚 醒めない悪夢の物語』を撮影することに繋がりました。
そして、今回51歳で長編デビューしたので、まあそれなりに時間はかかっているんですよね。
もともと子どもの頃、映画監督に憧れている時期はあったんですけど、監督って全部をコントロールする責任者みたいな立場だと思うので、自分にできるわけないなって。それに、その頃の映画監督といえば黒澤明監督とか巨匠が沢山いて、ドキュメンタリーを見たら「監督ってこんな鬼みたいな人がやっているんだな」と(笑)。
でも、サニーサイドウォーカーという最初に立ち上げた劇団で舞台をやった34歳ぐらいのときに、演出する人がいなくて「辻野さんどう?」と言われてやってみたら、「役者さんに芝居をつけるってこういう感じなんだ!」と分かってきて、「あれ、なんか俺、映画撮れるんじゃないかな」という気になってきたんです。
映画監督になった大きな理由は2つあるんですけど1つは、僕の「正樹」という名前は映画好きの父が、『切腹』(1962年)等を撮った巨匠・小林正樹監督からつけたという話をずっと聞いていたので、「最終的には映画監督になる運命なんじゃないか」となんとなく思っていたんですよね(笑)。
もう1つは、脚本家として仕事をしていたとき、「脚本家は監督より立場が下なのかな」と腹立たしく思ったことがありました。自分でゼロから考えて持ち込んだ企画だとしても、特に映画は“監督の作品”と思われているところがあるので、「だったら監督にならないと」という気持ちが芽生えてきました。
Q4 実際に監督になられていかがですか?それを踏まえて、“後輩”にメッセージをお願いします
〇辻野さん:自分が監督する前提の脚本だと、伸び伸び自由に書ける、というのはあるなと思います。
僕の脚本は「セリフが多すぎる」といっつも言われるんですよ。でも、セリフが多い映画だって面白いものはいっぱいあるし、“喋ってる映画”は全然悪いことじゃない。それが映画の持ち味になっていたらいいなと思うんです。「セリフがいっぱいある映画があってもいいんじゃないの?」と提示できれば、という想いもありますね。
映画監督になりたいかたは、いまはスマホ1台あればそれなりの映画が撮れるので、撮ってみてください。脚本は設計図。せっかく脚本を書いているのに、それをカタチにしないのは絶対勿体ない。自分で撮らないと、プロにならない限り、その脚本は設計図で終わってしまいます。
それから、いろんな映画仲間を作ってください。やっぱりツテというか、何かしらの繋がりがないと、いきなり映画監督になるというのはなかなか難しい。例えばインディペンデント映画の撮影現場に手伝いに行くとか、映画の世界に潜り込んでいくことをしていけば、映画監督になることに繋がるんじゃないかなと思います。
※辻野さんの『奇々怪々譚 醒めない悪夢の物語』についてはこちらの記事「出身ライター辻野正樹さん ホラーを作る 」をご覧ください。