9月
シナリオ・センター代表の小林です。朝、家を出た途端、突然土砂降りの雨が、傘も間に合わないほどポッツと来たと思ったらドシャーン、四谷、麹町近辺を歩いていらした方の大半はぬれネズミになったかと。
外苑前あたりまでは雨でしたが、ところが表参道へ着いたら、地面も濡れていないし、青空。本当に局地的、ピンポイントに天候って違うのですね。
非常に不安定な天気の上、とびっきりの暑さ、くれぐれもくれぐれもご自愛ください。
東京都は飲食店の時短営業の延長を決めました。病院、感染者待機のホテルは大丈夫なのでしょうか。
感染者数よりも、PCR検査はどこで何千人できるとか、重症者受け入れベッドは何床、待機ホテルは何室あるとか、受け入れ状況を出してくれた方が安心できると思うのですが。
シナリオ・センターは、9月の授業をオンラインで行うことにしました。
感染者数の減少も見られず、安全対策もないままに、熱中症もまだまだ続くようですので、「私が感染しないと同じくらい私が感染させないことが大切」と通学中止を決めました。
皆さんのお顔を拝見でいないことは、とても寂しいし、通学したくなくなったらと心配ですし、オンラインができない環境の方には申し訳ない気持ちでいっぱいなのですが、何を一番に大切にすべきかと考えました。
シナリオ・センターは、皆さんの安全と安心、命を大切にしたいのです。
よろしくご理解くださいますようお願い申し上げます。
テニスの大阪なおみ選手が、全米オープンの前哨戦でもあるウエストアンドサザンオープンの準決勝を棄権しました。
いい動きで精神的にも余裕があるし、優勝できそうとわくわくして見ていたのですが、先日起きた黒人銃撃への抗議で棄権されました。
大阪選手は「私はアスリートである前に黒人女性です。また、黒人女性としてテニスをするよりも大事なことがあると感じています。
プレーしていない時に何かが起こるとは思いませんが、大多数の白人スポーツの中で会話を始めることができれば、正しい方向への一歩だと思います」と、ツイッターに綴っています。
大坂なおみ選手は、常に自分の想い、考えを持ち発信しています。彼女の姿勢については賛否両論あるかと思いますが、私は賛同します。
なにが大事なのか、何を守らなければいけないのか、私たちはいつも大なり小なり決断を迫られます。決断するためにはよく見聞きし、その上で自分なりの感じ方、考え方を大切にしていきたいと思っています。
私たちが「描く」意欲さえ失わなければ、見聞を広め、どこでもいつでも描くことができる、見てもらうこともできます。
9月は、秋のコンクールに向けて、力を蓄えていただければと思います。
KEEP WRITING!!
洋画プログラムに夢中だった頃
作家集団の新井巌講師が、とても面白い本を書かれました。洋画プログラムの本です。
「洋画プログラムに夢中だった頃 1955~1988秘蔵コレクション大公開」(言視舎刊)
新井講師は、新井一の血でしょうか、無類の映画好きで、子供の頃からたくさん映画(多くは名画とされるもの)を見て育ちました。映画のみならず、お芝居、ミュージカル、音楽、オペラ、文学などにも造詣が深く、オペラから文学散歩などの本も出されていらっしゃいます。
このプログラムの本「洋画プログラムに夢中だった頃 1955~1988秘蔵コレクション大公開」は、ご自分が所蔵している800強のプログラムの中から、名画はもとより時代を映している映画、かってこんな映画があったことを知らせたいという映画などを厳選されたものを掲載しています。
昭和30年代映画全盛の時代には、一人年間平均で12本の映画を見ていたといわれています。
映画人口が多ければ多いほど、競い合い、名画がたくさん生まれています。
第一部は、プログラムの解説とともに「シネラマが珍しかった時代」「西部劇はいつの頃の話しか?」「ヌーヴェルヴァーグの衝撃」「トリュフォーは判ってくれない」「オードリーを探して」「アートシアターが懐かしい」「ルキーノ・ヴィスコンティの遺香をたどって」「さよならヒッチコックさん」「文芸映画あれこれ」などに分かれて、その時代の話し、映画が生まれた背景、往年のスター俳優たちのあれこれ等などが描かれています。
読んでいると、その時代の映画を見ていない方、知らない方も名画が名画たる由縁がそこはかとなく伝わってくるでしょう。名画をみる縁(よすが)にもなります。
第2部は、「たかがプログラム、されどプログラム」
プログラムの誕生も興味深いのですが、最初のプログラムはチラシのようなものだったらしく、プログラムは60年代までは映画館が発行していたので映画館の名前、館内案内図などが最終ページには刷り込まれているとか、その後発行元がプログラム製作会社になっていく、広告が入らなくなるとかプログラムの変遷も時代を映していて面白いです。。
試写会や報道陣関係用のプレスシートもそうですがプログラムには、映画を創った人々の想いが溢れています。
「邦画だが黒澤明監督『赤ひげ』(65年4月公開)と市川近総監督の「東京オリンピック」(65年3月)のものが手元に残されていた。
前者はほぼB4サイズで4ページ、さらに1枚挟まれたシートには、赤ひげに扮した三船敏郎の顔が力強い筆で描かれている。
ここで赤ひげのセリフが一部掲げられている。『・・・・それは政治の問題だ、というだろう。誰でもそういって済ましているが、だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるのか』
これほど正鵠を射たセリフはない。まさに黒澤監督の制作意図はここにあったのだろう。
それはまた、50年以上経った現代もまた、同じことが言えるのが悲しい。
後者は、公開当時物議を醸した因縁の映画であった。市川監督の記録性だけではない映像美が理解されなかったようだ。
当時の国務大臣がイチャモンをつけたらしいが、結局細かい部分を手直しして押し切っての上映だったのは記憶している」と新井はつづります。
監督たちがいかに映像を通して伝えようと戦っている様子がわかります。
私は、出身ライターの方の映画プログラムは必ず買い、脚本意図、制作意図を読ませていただきます。気に入った映画のプログラムは絶対に欲しくなります。
どんな思いで創られたのかを知ることで、より作品を知ることができるからです。
「新聞記者」を初日に見にいったのにプログラクが売り切れていて悲しい思いをしたことを思い出しました。2回目に手に入れましたが。
たかがプログラム、されどプログラムですね。(笑)
コロナ禍に映画館に行くことを反対するご家族に「映画を見なくても死なない」と言われて「心が死ぬ」とつぶやかれたFBを拝見して、思わず納得してしまいました。
とはいえ、ご家族の気持ちも配慮されて、「洋画プログラムに夢中だった頃」でしばらく楽しんでいただくのはどうでしょう。(笑)
「映画って、やっぱりいいですね。」と改めて言いたくなってしまう本です。