8月の終わり
シナリオ・センター代表の小林です。今日で8月は終わり・・・3月からなんとあっという間に時が過ぎたのでしょうという感じがします。
コロナ禍になってから、オタオタワサワサバタバタ動いているうちに、桜も初夏の緑も味わうことなく過ぎていき、長雨と猛暑だけが身体に残り、やがてこれも何気に消えていくのでしょうね。
気がつくと時が経っているというのは、楽しい時にいえる言葉だと思っていたのですが、今年は違うようです。
それでも、シナリオ・センターは何とかまがりなりにも、ありがたいことに踏ん張っていられる状況です。
シナリオ・センターの付近を歩くたびに、またひとつまたひとつと日を追うごとにお店が消え、空き室が増えていき、FORLENTの札が目につきます。
安倍政権は終わったけれど、コロナ禍に終わりはなく、これからはどうなるのか、コロナもどうなるかわからない・・・。
東京都の今日は100人の感染者ですが、8月は最多の8126人の感染者だったそうです。
この事態をすっかり忘れているように目先の権力争いをしている人たちに、なにを任せられるのか信じられるのか、暑い夏はまだまだ続きそうで、半沢直樹はいないのか!鳳丸子出てこい!とつぶやく8月の終わりです。
こころの相続
8月も終わり、日本の犯した戦争についてを考える日がまた遠のきました。
五木寛之さんが書かれた「こころの相続」(SB新書)を読んでいると、私たちが先人から相続しなくてはいけないものがたくさんあるのだと知りました。
体験された方がだんだんいなくなっていく戦争、原爆体験が今一番大事に相続したいものです。
でも、若い人は年寄りの話しは、「また、その話かよ」「昔の話しばかり」とか思うことが多く、なかなか聞いてくれないようです。
五木さんは、それは当たり前のことで、きちんと戦争体験などは残すためにも、ただ大変だったんだというのではなく、今の人にも伝わるように話ことが大事だと書いています。
体験していない者に、体感させることは難しいことですから。
「伝える」ということはとても難しいことですが、私たちはこの「伝える」ということを常に考えなくては描けないシナリオに取り組んでいます。
シナリオであれば、かならずアクションがあればリアクションがある、どちらも描かなくてはいけません。
このアクションとリアクションの両方があるという発想こそ、シナリオだからこそできることなのです。
何かをするときに、どのようにアクションを起せば成功するかということは必死に考えますが、起こした時のリアクションまではなかなか想像しません。
リアクションまで考えることで、初めて「伝える」「伝わる」のではないでしょうか。
シナリオをたくさん描くことで、色々なキャラクターがいること、人はみな違うのだということを知り、その人たちが起こすアクション・リアクションを丁寧に考えることで、「伝える」力が生まれるのです。
今後は今までのような生活には戻ることもなく、社会そのものの在り方も変わらざるを得ないと思います。
大きな変革のチャンスでもあるのですが、私たち一人一人は、そんな大上段に構えることなく変化を生かす道を、それぞれの心で感じ、頭で考える年にしていきたいです。
2020年8月が終わります。十分な慰霊もできずに。