「シナリオのテクニック・手法を身につけると小説だって書ける!」というおいしい話を、脚本家・作家であるシナリオ・センター講師柏田道夫の『シナリオ技術(スキル)で小説を書こう!』(「月刊シナリオ教室」)からご紹介。
文章表現には情景描写 心理描写 人物描写 がありますが、「それぞれ分けられるということでもなく、重なっているという言い方もできます」と柏田講師は言います。向田邦子作品の文章を例に、描写について考えていきましょう。
巧みな情景描写は人物の心理を表す
小説の文章表現、描写には「情景描写」「心理描写」「人物描写」があります。
ただ、これらはそれぞれ分けられるということでもなく、重なっているという言い方もできます。
どういうことかというと、視点者が見ている情景なりを描写していることで、読み手は書かれているその情景をイメージします。もちろん、正確に書き手が思っている通りの情景とは限らなかったしますが、ともかくできるだけ同じ、あるいは近くなることを書き手は望み、文章化します。
で、その情景なりを見ている小説の視点者の心理であったり、そう思う人物の性格とかその人格とかを分からせたりする。
例えば、
“太郎は突風に飛ぶ一枚の木の葉の行方を見つめていた。幹に張り付いたのは一瞬で、黄色い葉はたちまち林の中に消えていった。頼りない自分自身の姿を見るようだった。”
といった描写で、読み手はまず風に飛ぶ木の葉の情景をイメージし、それは視点者である太郎という人物の現在の心理でもあり、そう思う太郎の性格をも感じさせることになります。
「心理描写」というと、“自分はなんて頼りない男だろうと太郎は思った。”と書く。
あるいは“太郎は生まれた時から気が弱かった。”というのが「人物描写」かと思っていませんか?
それらも心理・人物描写には違いないのですが、小説の表現としては稚拙かもしれません。
向田邦子作品に学ぶ「情景描写=心理描写=人物描写」
この小説表現の巧者中の巧者が向田邦子という作家です。
以前教材とした『はめ殺しの窓』で、視点者の江口が美しい母タカへの憧憬と恐れを表す「情景描写」と「心理描写」として、少年時代の思い出を例としました。そのまま引用してみます。
“冬でもタカは、足がほてると言って布団から足の先を出して眠っていた。
夜中に水を飲みに台所へゆくと、翌朝の味噌汁に使う浅蜊が桶の中で鳴いていた。貝を少し開いて、あれはどこの部分なのだろう、白い管の先を覗かせているのがあった。茶色の布団からのぞいていたタカの足は、あれに似ていた。物音におどろくのか、ピュッと水を吐くのもあった。砂を吐かせるのに金気がいいのか、錆びた出刃包丁が水の中に突っ込まれていることもあった。
水の中の貝も出刃包丁も、布団から出ている母の足も、いつも江口はドキンとしながら見ていた。”
布団から出ている母の足を見て江口少年はドキンとする。それだけなら少年の思うエロチシズムともとれますが、そこから夜中にひっそりと置かれた(翌朝食べるための)浅蜊の鳴き、水から口を出し水を吐く姿。それだけでなく、彼らがいる桶に刺された錆びた出刃包丁! この生々しさと鋭利な感覚。
「情景描写」がすなわち人物の「心理描写」となっていて、そのままそう思う視点者(江口自身)の、さらに江口から見た母タカの「人物描写」になっているわけです。
どの短編もこうした巧みな表現が駆使されています。もう一作分析してみましょう。主人公の中年女性の心理、感覚のみで綴られていると言ってもいい名篇『花の名前』です。
物語のストーリー、設定としてはシンプルです。25年の結婚生活を送ってきた主婦の常子が視点者で、夫の松男との日常と歳月(それも絶妙に夫婦の性生活についても記される)が綴られるが、ある日、夫の浮気相手の女から電話がかかってきて、その女と会うはめになる。この突然の波風に揺れる常子の心理。
タイトルの「花の名前」は、“無神経でがさつ”な松男に、博識が自慢の常子が妻として教育をしたという象徴です。桜と菊と百合くらいしか花の種類を知らなかった松男に、名前を教えてやったという常子の自負でもあります。これが“小布団を敷かれた”電話で打ち砕かれます。
出典:柏田道夫 著『シナリオ技術(スキル)で小説を書こう!』(月刊シナリオ教室2019年11月号)より
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