脚本家でもあり小説家でもあるシナリオ・センターの柏田道夫講師が、公開されている最新映画を中心に、DVDで観られる名作や話題作について、いわゆる感想レビューではなく、作劇法のポイントに焦点を当てて語ります。脚本家・演出家などクリエーター志望者は大いに参考にしてください。普通にただ観るよりも、勉強になってかつ何倍も面白く観れますよ。
-柏田道夫の「映画のここを見ろ!」その27-
『罪の声』アバンタイトルの正しい入れ方
久しぶりに邦画を取りあげます。昭和最大の未解決事件と言われているグリコ・森永事件をモチーフにした塩田武士の原作ミステリー小説を映画化した『罪の声』です。
『麒麟の翼』や『ビリギャル』などの土井裕泰監督作ですが、脚本が乗りに乗っている野木亜紀子さん(ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』『MIU404』など。映画脚本は『図書館戦争』『アイアムアヒーロー』など)。
塩田さんの原作は、事件から30年後、実際にあの脅迫時に使われた子どもの声の音声テープを発見し、その声が自分だと気づいた曽根俊也(映画は星野源)と、特集記事を書くために事件を掘り起こす記者の阿久津英士(小栗旬)の両面から描かれています。
その過程で、事件の全貌が見えてくると同時に、二人の人生が交差する見事なミステリー小説として展開していました。なにより、あの時脅迫に声を使われた三人の子どもは、今はどんな大人になっているのだろう?というところに気がついた塩田さんの目の付け所が素晴らしい。
映画化されると聞いた時、小説で描かれていた膨大な事件の詳細や、関わる人物たちの多さ、複雑にクロスするストーリーをどう脚本にするのだろう?と思いました。これがまあ見事な脚色です。
以前(『ストーリー・マイ・ライフ わたしの若草物語』などで )脚色のアプローチの方法について述べましたが、まさにこの『罪の声』も、野木さんの手腕が遺憾なく発揮されています。
曽根俊也と阿久津英士がそれぞれ事件を追うことで交差していく、という展開は同じですが、大人たちの欲望に人生を狂わされた子どもたちに焦点を絞り込む、という物語の〝核〟の据え方を見て下さい。できれば原作も読んだ上で。
それはそれとして、今回注目したいのは「アバンタイトル」についてです。
先日ある受講生からこんな質問を受けました。
「コンクール受賞作などをみると、シナリオの冒頭からシーンがいくつか進んで、メインタイトルが入るという書き方が多くされています。“それは演出の領域なので、脚本家は指定しなくていい”と講師から言われましたが、書いてはいけないのですか?」というもの。
このメインタイトルを出す前に、物語の前提や設定説明、プロローグなどのシーンを先に展開させる手法を「アバンタイトル」と言います。
確かに多くは監督、演出家が指定します。ただ、脚本家がシナリオ上で、ここにメインタイトルを、と指定する場合もあります。実際はその通りになるとは限らないことが多いようには思いますが。
ですからコンクール応募作とかで、アバンタイトルを指定してはいけないということではありません。
ただし、皆さんのシナリオの9割以上は、どーでもいいところ、テキトーにシーンが並んでから。メインタイトルとなっています。つまり「アバンタイトル」の意味、必然性を何も考えていない。
ところで「アバンタイトル」というと、松本清張原作、野村芳太郎監督、橋本忍脚本の映画『張込み』を思い出します。おそらく「アバンタイトル」の嚆矢となった邦画だと思います。
YouTubeで、このトップシーンからメインタイトルまでが見られます↓
実に12分もあるのですが、この時代の東京から物語の現場となる佐賀までの距離感と、さらにそこから二人の刑事が物語の主題を明らかにするメインタイトル!これは間違いなく、名脚本家橋本忍の指定があったはず。
さて『罪の声』の「アバンタイトル」をぜひご覧下さい。『張込み』同様に、久しぶりに鳥肌が立つような、見事なメインタイトルの示し方です。野木さんがシナリオで指定していたのか?は知りませんが。
もうひとつ、注目してほしいのは主役二人のキャラクターの造型はもちろんですが、場面ごとの各証言者らの描写やセリフ。梶芽衣子さん、宇崎竜童さんの貫禄もですが、私が心揺さぶられたのは、ワンシーンだけの高田聖子さん。さすがに劇団☆新感線の看板女優さん!
※YouTube
東宝MOVIEチャンネル
映画『罪の声』予告【10月30日(金)公開】
-柏田道夫の「映画のここを見ろ!」その28-
『おらおらでひとりいぐも』現実にファンタジーを入れる方法
前回の『罪の声』に続いて公開中の邦画をご紹介します。
シナリオ・センターでも講演していただいた沖田修一監督・脚本、待望の新作『おらおらでひとりいぐも』。楽しくてしみじみとする傑作です!
原作は2017年に発行され、第158回芥川賞を受賞した若竹千佐子の同名小説です。まだ記憶に新しくベストセラーになりましたが、何しろ若竹さんが受賞したのは63歳の時。本格的に小説修業を始めたのも、50歳を過ぎてからということで、まさに志望者の希望の星となった作家さんでした。
タイトルが示すように、独特の東北弁の語り口で(小説は内面の声が東北弁で、描写とかは標準語)、夫を失って一人で生きていくことになった75歳の桃子さんが、内なるさまざまな声と語り合いながら、生きる意味、悲しみや喜びを見つけていく物語でした。
原作はその独特な語り口がおもしろさで、特に大きな事件が起きるわけでもなく、桃子さんの日常と、内なる東北弁の声との対話で、桃子さんの過去、子どもの頃のばっちゃとの思い出、親の決めた結婚から逃げて、岩手から家出して東京に出たこと、夫の周造との出会いといったことが語られる。
映画もそうした逸話は拾っていくのですが、一人暮らしを送る現桃子さんを田中裕子が、若い頃を蒼井優が演じています。若い頃の修造は東出昌大。
時々に過去桃子として現れる蒼井優さんもおおらかで楽しいのですが、何といっても淡々と、でもしっかりと老境という時間を刻んでいく田中裕子さんの素晴らしさ。文句なしに主演女優賞でしょう。
さて、本作でここを観てほしい、というのは悠々と生きながらも、でもやっぱり孤独だったり、寂しさもあったりする桃子さんがふいに見る、あるいは出現する幻想(イメージ)シーンです。
トップシーンからアッと驚くオープニングなのですが、これもただ奇をてらったというのではなく、ちゃんと桃子さんの思考とかと関わりますし、ある意味本作のテーマにも結びついたりします。
で、原作のキモである桃子さんの東北弁の内なる声ですが、沖田監督は彼女の周辺をうろちょろする寂しさ1(濱田岳)、寂しさ2(青木崇高)、寂しさ3(宮藤官九郎)の三人として登場させています。
どうしてこの男たちばっかりなのか? よく分からないのですが、納得してしまう不思議さ。桃子さんが彼らに「おめえら誰だ?」と問うと、それぞれが「おらはおめだ」と答えるおかしさ。
彼らこそが最初のイメージなのですが、そこから彼らのバンド演奏になったり、キャバレーのステージで桃子さんが歌い出したり。それだけじゃなく、もっと壮大な幻想シーンも出てきて、それが独り暮らしでも「今を生きる」という思いに繋がっていく。
しかも、若桃子が現れる場面さえも、回想というよりも幻想イメージのひとつになっていく。子どもの頃、若い頃、現桃子の三人が並んで空を見つめるシーンがあるのですが、ここだけで涙が出るほどの美しさでした。
映像の武器は、自由自在にどんなイメージも作れることです。皆さんが大好きなファンタジーであってもシナリオとして書けばいい。
ただし、いつも述べていますが、ファンタジーこそリアリティがなくてはいけません。幻想やイメージも出せばいいということではなく、キャラクターだったり背景とかを、しっかりと作り込んだ上で入れなくていけません。
特に日常の中にファンタジー要素を加える場合には、観客にそれを受け入れさせる仕掛け、計算が必要となります。本作の桃子さんの日常、ディテールの積み重ねを経て、成立しているさまざまなイメージ造りをじっくりと観て下さい。
この映画には大きなストーリーはありません。それでもおもしろいのは、キャラクターとおのおののシーンが秀逸だからです。
ただあえて言わせていただきますが、やっぱり沖田監督、いつものように長いです。メインターゲットF3M3向けには、あと20分詰めてほしかったなあ。
※YouTube
Asmik Ace
映画『おらおらでひとりいぐも』予告(90秒・11/6)
※前回の柏田道夫おすすめ映画の記事はこちらからご覧ください。
■その25・26 柏田道夫おすすめ 映画『ブックスマート』を楽しむ 見どころ