自分の作品を人に見せるという“ひと手間”を
第46回城戸賞。残念ながら今年もグランプリにあたる入選は該当作なし。
ですが、応募脚本406篇の中から、島田悠子さん(元通信作家集団)の『御命頂戴!』が準入賞を受賞。
なお、『大江戸ぴーちくぱーちく』で第42回城戸賞 佳作を受賞されており、今回で2度目の受賞となります。
今回ご紹介する島田さんの受賞コメントを読むと、“自分の作品を人に見せること”の大切さを実感できると思います。そして、この“ひと手間”を加えることで、受賞結果も変わってくるかもしれません。参考にしてください。
『大江戸ぴーちくぱーちく』と『御命頂戴!』の“違い”と“共通点”
――受賞の手応えはありましたか?応募する前のお気持ちと併せて、受賞のご感想をお聞かせください。
〇島田さん:嫌な感じで聞こえたら恐縮なのですが、「もしかしたら、もしかするかも?」という期待は本文を書いているときからありました。
その理由は、以前に城戸賞にて佳作をいただいた『大江戸ぴーちくぱーちく』を本作は上回っているのでは?という感覚です。『大江戸ぴーちくぱーちく』では、もう、とにかく「楽しんで書いた」という記憶がありますが、今回の『御命頂戴!』では、「楽しんで書く」にプラスして「私の持てる力を限界突破まで高めて、全力の剛速球にしてぶつけた」という感じがありました。書き上げて、息切れ、ばたんきゅー、です(笑)。私が『御命頂戴!』に込めた熱量は、きっと読み手にも少なからず届いてくれるはず、そう信じることができました。
私は城戸賞というコンクールが大好きなんです。もう毎年のように出していますが、毎回、書くのが楽しくてしょうがない。審査をしてくださる各映画会社のプロデューサーさんの方々や最終審査員のみなさんは、お忙しい中にも関わらず本当に熱く読み込んで真剣に審査してくださいます。それをひしひしと感じるからこそ、どんな結果が出ても感謝にたえません。今回は準入選ということで、ありがたいことひとしおです。
城戸賞事務局からお電話をいただいたとき、作品やキャラクターが愛されたかどうかの結果ですから、緊張で胸が破裂しそうでした。恋愛で言うところの、告白の返事を聞くドキドキに似ています。準入選だったと聞き、思わず「入選作は?」と聞き返しました。入選は出なかったと知って、素直に残念に思いました。
今回の応募作の中で一番をいただきながら、審査員の方々をお腹いっぱい胸いっぱいにできるほどには及ばなかったのだと思うと、私の力が足りず申し訳ない気持ちにもなりました。今度はきっと入選に値する作品を、と願います。城戸賞狙いの生徒のみなさん、みんなで審査員をギャフンと言わせましょう!……なんて大きな旗を振りつつ、私も引き続きがんばりますね(笑)。
――前回『大江戸ぴーちくぱーちく』のときと今回、気持ちの面や作品に関することで、何か違ったことはありましたか?
〇島田さん:ふたつの作品における一番の違いは、「映画」を意識したかどうかです。
『大江戸ぴーちくぱーちく』のとき、「この作品はテレビっぽいね」と審査の方から言われ、それがプラスには評価されなかったことを知りました。城戸賞は「映画」の賞ですもんね。授賞式のパーティーにて、故岡田会長に「映画とテレビの違いは何だと思う?」とご質問をいただき、私が「うーん」と考えていると、「僕が思うにね!」と待ちきれず会長はお答えをくださいました。
テレビは冒頭がつまらないとチャンネルを変えられてしまう。映画はラストがつまらないと口コミが広がらない。作品の重心が違う。というのが会長のお考えでした。もちろん、他にも違いはあると断った上で、「それを自分なりに考えてごらん」と会長は人懐っこいスマイルをくださいました。
それがそのまま、今回の課題になりました。『御命頂戴!』では、私なりに「映画」らしさを前面に出したつもりです。『大江戸ぴーちくぱーちく』と合わせてご一読いただける機会がありましたら、ふたつを比べていただけると幸いです。
そして、書き上がったあとの直しについても、ふたつの作品では大きな違いがありました。『大江戸ぴーちくぱーちく』では自分の感覚を信じて一人で黙々と直し作業をしましたが、『御命頂戴!』では信頼のおける人に読んでもらい、細やかな感想をいただきました。その上で、「読みやすさ」に注意して書き直しました。
スケジュール的には、7月中には自分なりに完成させ、8月いっぱいを直しにあてる、といった感じでした。そこでいただいたコメントで鮮明に覚えているのが、「島田さんは書くのが好きすぎて、書きすべっているよ」というお言葉。私の作品への情熱が空回りし、私が物語をイメージするスピードに筆が追い付かず、文章として乱雑になっている箇所が散見されたそうです。恥ずかしい限りです。それを受け、読み手にやさしく、物語の邪魔をしない、なめらかな日本語を心がけました。
ふたつの作品の違いを述べましたが、もちろん、共通する部分もあります。それは、声を大にして、「キャラ愛」です。どちらの作品でも、私は主人公をこれでもかってくらい愛しています。読んでいただいた方にも愛してもらえるなら、この上なくありがたいことです。ちなみに、サブキャラや悪役もスピンオフしたいくらい好きです。この「キャラ萌え」のくだりは語りだすと長くなるので、いつか直接お話する機会がありましたら一緒に盛り上がりましょう!(笑)
受賞作『御命頂戴!』を書いて/
「いつも心がけていることはキャラクターの存在感」
――少しだけ、内容を教えてください。
〇島田さん:『御命頂戴!』は、殺された兄の仇討ちに出た若侍の物語です。仇討ちというと、「ここで会ったが百年目!」と、仇との果し合いを想像しますが、現実の仇討ちはかなり厳しいものだったといいます。
そもそも、仇に出会えるのは、ほんの一握りのラッキーをつかんだ者だけ。ほとんどの場合は仇に巡り合うことすらできずに一生を終えたそうです。そんな、人生を棒に振りがちな仇討ちに出るのは、殺された者との絆がよほど深い者か、または、いなくなっても構わないような一族の余り者でした。
主人公は残念ながら後者です。亡くなった兄との絆もありますが、主人公の一族にとって彼は風変わりな厄介者。謎を謎のまま放っておけない面倒な性分の彼は、一見、自分の仇討ちとは無関係な事件にも首をつっこみがち。それをきっかけに物語は展開していきます。あとは読んでのお楽しみ、ということで(笑)。
――この作品をなぜ書こうと思ったのですか?
〇島田さん:2時間の時代劇脚本が応募できる先は限られています。城戸賞はその貴重なひとつ。城戸賞にむけて「何を書こうかな」と考えていると、どうしても時代劇が書きたくなってしまうんです。
時代劇はめちゃくちゃカッコいい!現代劇ではできないことができます。もちろん、その逆、現代劇でしかできないこともたくさんありますが、私は時代劇のチャンバラアクションが大好き。刀はそれだけで美術品ですし、それを扱う人の所作の美しさにもしびれます。
私の中にあるイマジネーションを具現化できる物語として、いくつかある時代劇のネタを箇条書きにしたうち、今回、一番、血がたぎったのが『御命頂戴!』でした。何年も前から持っていたネタだったので、作品と私のタイミングがやっと合った、時期が整った、作品の熱量に私の気合いが追い付いた、そんな感じがします。自然と「これだ!」と思えました。「ながらく、お待たせしました」、キャラたちにはそう言いたいです(笑)。
――今回、特に心がけたことは何ですか?
〇島田さん:いつも第一に心がけていることは、キャラクターの存在感です。「どのキャラにもコアなファンがついてくれるといいな」と、彼らの描写はできるだけ丁寧に。ここぞというタイミングの決めゼリフもさることながら、何気ない瞬間に流されがちなセリフにも、キャラの「その人らしさ」が出せないかと目を光らせています(笑)。
私には、「普段あまり時代劇を劇場でチョイスしないような若い人にも、ぜひぜひ、観てほしい、楽しんでほしい!」という願いが前々からあります。そのため、ターゲットである彼らにむけて、スタイリッシュさ、キャッチーさ、スピード感も意識しました。
『御命頂戴!』は、主人公がずっと「仇」だと思っていた男と出会ってからが物語の本番になります。主人公が彼に出会うまでの前半、出会ってからの後半、どちらも分断されることなく一直線に駆け抜けて行けるよう、物語に切れ目がないように気をつけました。イメージとしては、「キャラメルポップコーンを買ったけど、食べてる場合じゃなかった」という映画。それを目指しました。一気読み、してもらえたら幸いです!
とはいえ、時代劇に新しいノリを提案したいと思えばこそ、反発もあると思います。本作を読んで、「正直、よくわからなかった」、「つまらなかった」、「邪道」と思われた方、そういう意見も当然あると思います。時代劇には包容力があります。色々な語り口が可能です。『御命頂戴!』は、そんな時代劇というジャンルの中のほんの一作品ですので、あしからず、ご笑味ください。
「感想をもらって素直に直すことと、感想に振り回されない“自分らしさ”を持つこと」
――シナリオを書く際、いつも意識していることはありますか?
〇島田さん:コンクール作品では、「誰かに好かれる、好かれない」を抜きにして、「自分の書きたいものを自由奔放に書く」ことにしています。人の目を気にして遠慮したり、手加減したりはしません。
私の場合は、ですが、あくまでも主軸は自分の好き嫌いにあります。自分の観客としてのセンスを信じています。脚本づくりがお仕事になれば、発注に沿って書く機会が増えると思いますが、コンクールではそれがありません。作者としてのふり幅を見せるチャンスです。「ここまで書けるんだ」、「これが好きなんだ」という、作品からあふれだす印象は、そのまま作者のカラーになると思います。そこから将来性を推し量り、合う合わないを見定め、プロデューサーの方々は一緒にお仕事がしたいかどうかを判断するのだと思います。
「常に正面突破、全力投球!」。結局、そんな話になるんですけど。というと、陳腐な話に聞こえてしまうかもしれませんが、私の経験上、持てる力を余すことなく出した作品を書き上げると、四苦八苦した分、未来の作品がおもしろくなる気がします。筋トレと同じで、ちょっと筋肉が悲鳴を上げるくらいが負荷としてちょうどいい(笑)。すぐに筆力が上がるわけではありませんが、気がついたら、むかしの作品を超えているようになります。生みの苦しみは毎回です。でも、それ以上に、新しい作品との出会いの楽しさもありますよね。だから、シナリオはやめられない!
――シナリオ・センターで学んだことで、いま役立っていることはありますか?
〇島田さん:シナリオ・センターでは物語づくりの基礎を学びました。物語には秘密のレシピがあることをはじめて知り、その後も独学を続けていくきっかけをもらいました。そして、自分の作品を思い切って人に見せる勇気も。感想をもらって素直に直すことと、もらった感想に振り回されない「自分らしさ」を持つこと、その両方の大切さを知りました。
シナリオ・センターで出会った仲間とは今でも交流を続けています。彼らは私が書き続けていく上でかけがえのない存在です。書くことは時に孤独な戦いです。でも、仲間がいるおかげで自分は一人じゃないんだと思えます。彼らとの何気ない会話の中からインスピレーションを受けることも多々あります。
――城戸賞をとりたい生徒さんが沢山いらっしゃいます。その方々に向けてメッセージをお願いします。
〇島田さん:よし、じゃあ、取りましょう!(笑)。なんて、勢い任せに言ってしまいましたが、そう簡単ではないことは、私も実感を込めて理解しています。でも、それぐらいの楽観とガッツと向上心を持って、拍手喝采のピリオドにむかって作品を書き上げてください。
城戸賞の最終候補に残る方々の年齢は様々です。驚くほど若い方もいれば、大先輩方もいます。作風もテーマも人それぞれ。どなたにもチャンスはあります。自分を信じて、作品と読み手を愛して、何度でも、期待を込めて挑戦してください!
これは、ほんの小話ですが、『御命頂戴!』を書き上げ、念入りに直して応募したあと、私は不安に駆られて、神頼みをしに行きました。
城戸賞に持ち込みをすると日本橋に行くことになります。事務局から歩いて数分のところにコレド室町があり、そこには「福徳神社」という小さいながら立派な社があります。ここは別名「芽吹き稲荷」と呼ばれ、当選守りのお稲荷様が祀られています。そこで授かった「芽吹き守り」は、今回、大変なご利益がありました。
本当にたくさんの方に押し上げてもらっての受賞となりましたが、芽吹きのお稲荷様にも心より感謝しています。先日、お礼参りにも行ってきました。「あとは神頼みしかない!」というところまで自分を追い込んで書き上げた方、応募が完了しても胸のドキドキがどうにも治まらないときは、お散歩がてら、神様にご挨拶に行かれるのもいいかもしれませんね。
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※『御命頂戴!』のシナリオと島田さんのインタビューは『月刊シナリオ教室 2021年4月号』に掲載予定です。
今回のブログとともに参考にしていただき、次回の城戸賞にぜひ応募してください。
※城戸賞で賞をとりたい方はこちらの「妄想から物語 を作る/第45回城戸賞 佳作受賞 弥重早希子さん」もご覧ください。
※このほか、脚本コンクールいろいろあります。こちらのブログ「主なシナリオ公募コンクール・脚本賞一覧」で、どんなコンクールがあるのかチェックしてみてください!