静かに
シナリオ・センター代表の小林です。寒い。冷たい。
月曜日のシナリオ・センターは、日曜日が休みで誰もきませんから、心底部屋が冷え切っているので、暖房をつけても、お昼ごろにならないと暖まりません。
その上に換気を異常なほど、これでもかってほど開けているので、まあ、部屋にいても寒い。
これから寒さとコロナ対策と戦わなくてはいけない日々が続きますね。
皆さん、免疫力と体力でコロナと勝負です。
それには、まず栄養のあるものを食べて、コロナに効くというお茶や紅茶、カテキンをタップリとって、生き延びましょう。
こういうことはキチンとする性格上、どんどんぽっちゃりコバヤシが形成されていきますが、生き残るためにはしかたがない、デブも厭わず(笑)、頑張ります。
年末年始はどこへも出かけず、「食っちゃ寝」生活を考えています。
とはいえ、運動も必要なので、「初詣は、節分までやっています」と神様が言っていらっしゃいましたので、人混みを避けながら、人出のなさそうな日に、散歩がてら歩いてお参りはいかがでしょう。
我が家の氏神様は、赤坂の山王日枝神社。例年、元旦に家族そろってお祓いをしていただくのですが、今年はどうしようかと・・・。
皆さんも初詣は、わざわざ遠くまで大きな神社に行かなくても、ご自分の住まいに近い神社が氏神様となるようなので、そちらへお参りされるのもいいのではないでしょうか。
ご自分の氏神様を調べてみるのも、新しい一歩に繋がりそうな気がします。
23階の笑い
先日、三谷幸喜さんの「23階の笑い」を観てきました。
さすが三谷さんのお芝居は、コロナ禍にも関わらず満員御礼で、ソーシャルディスタンスはちょっと難しいかんじでした。
世田谷パブリックシアターは、座席の横にアクリル板ではなくカーテンのようなもので防御しているのですが、隣とより狭い感じがしました。
その分なのか「マスクを取ったら席に駆け付けます」と脅かされ、コメディを観るにもかかわらずちょっと緊張しつつ(笑)、ま、前向いて笑う分には飛沫感染はなさそうなので、マスクの中で笑いました。どこも苦労されていますね。
三谷さんが尊敬するニール・サイモンの戯曲「23階の笑い」を、演出、上演台本三谷幸喜という形で上演です。
「23階の笑い」というのは、ニール・サイモンの自伝的放送作家だった頃の1950年代のお話しで、ニューヨーク・ミッドタウンにある高層ビルの23階、人気コメディアンマックス・プリンスのオフィスが舞台。
マックスを支える個性的な放送作家集団がここでコントをかいてしのぎを削っています。
「個性あふれる放送作家たちが「大将」と尊敬するコメディアンマックスともに、政治ネタもコントにとり入れることを好まない大衆受けの番組を望むテレビ局の上層部に立ち向かうのだが・・・。」
という固いお話しが根底にあるのですが、なにしろ、ニール・サイモンのお芝居ですから、個性あふれる面々のジョーク合戦が見もので、役者さんたちもうまい人ばかりなので、盛り上がること、盛り上がること。
とても楽しく、コロナ憂さを吹き飛ばす勢いで笑いました。
ただちょっともったいないなと思ったのは、時代背景がもうちょっとわかった方が、ジョークもお話しも良くわかって、もっと笑えたかなぁと。
1950年代は、アメリカでは「赤狩り(共産主義)」の真っ最中、マッカーシズム旋風が吹き荒れていた時代。
政治ネタも厭わないコントをするマックスと放送作家。対して、厳しい要求を次々と突きつけるテレビ局。
お芝居の中でも、たびたびニュースとして、マッカーシーのことがでてきますが、マッカーシーが赤狩りの中心人物で、その頃のアメリカかがどんな様子だったのかを知っていながら見た方が、テレビ局の言うことがどれだけ理不尽なことかがわかって、面白さは倍増した気がします。
「23階の笑い」のお話しは、1950年代のことなのですが、お上の意向に逆らえず、事なかれ主義の番組を垂れ流すテレビ局。う?どこの話?
今の日本の放送界、マスコミ界をみているみたいで、もしかして三谷さん、数あるニール・サイモンの作品から今これを選んだのはそういうこと?って思ってしまいました。
三谷さんの本心は知りません。(笑)
でも、マックスと仲間の放送作家たちのように、センスと機智で、安易な妥協をしない作品作りをお願いしたいです。
創作者は、なにを表現したいか、どう表現するかという技術を使って、体制にも迎合しない、文化芸術の世界を、己の意志を、大切に体現していくことが必要なのだと思います。