世の中
シナリオ・センター代表の小林です。日曜日までは暖かという予報で、立春が一日早いと暖かさも変わるのかなぁと(笑)。
ここ数日コロナも吹っ飛ばす勢いは、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森会長の問題発言。
海外でも大きく取り上げられてしまっているようで、日本の恥だという声や東京都には抗議や、オリンピックボランティア辞退も・・・。
女性蔑視、ジェンダー問題は世界中で問題視されることなので、当分騒ぎは収まりそうにもありません。
この発言に憤っている方が多い中、「?と思うところもあった」というJOC山下会長や「違和感はある」という政治家たち、「謝罪したし・・・」と辞任を勧めない閣僚、JOCの面々に、森さんだけではない日本社会全体の問題なのだとしみじみ思わされます。
男性社会は変わらず、女性はかくあるべき論は根強くはびこっているのです。
森会長の言うことがわかる男性は、決して少なくはないと思います。
別姓を認めないことも、同じ線状にあるのではないでしょうか。
岡田恵和さん脚本の「にじいろカルテ」(テレビ朝日)で、「~のくせに」といったら、ペナルティ。誰が一番言うかと「くせにポイント表」を作る話があります。
ドラマは去年のうちに制作されたそうですから、今をみてではなく、日本社会は「~のくせに」が綿々と続いているんでしょうね。岡田さんさすが!
男と女では、できることできないことが違うのは当たり前、体の成り立ちから違うのですから。
これをうまく使ってドラマを描かれていらっしゃるのは、森下佳子さん脚本「天国と地獄~サイコな2人~」(TBS)
男女、刑事と殺人犯が入れ替わって・・・。先が読めない、ホント森下さんうますぎ。待ち遠しい。
いつになったらできるのかわかりませんが、お互いないものを責め合うのではなく、補い合って一つのものを形成する、共にリスペクトし合える男女共同社会でありたいです。
ドラマで
言葉が軽い時代になった気がします。
言葉って、発してしまったら、基本取り返しがつかないんです。
「いやいや、そんなつもりでいったわけではない」と弁解しても、「じゃあ、なんでいったのよ」「それが本音でしょう」とか責められます。
そこにキャラクターが出てしまうから、菅首相や森会長が色々言われてしまうわけです。(笑)
でも、ドラマではセリフひとつひとつに意味があります。
いい加減なセリフを発したらお話は魅力的にならないし、面白く運びません。
セリフひとつで、人物のキャラクターがみえるからです。
主人公が貫通行動をとってくれないと、帳尻合わせのご都合主義ドラマになりますから、主人公の行動、動作、セリフはとても大事なのです。
ストーリーから考えると、どうしても破綻が来やすくなります。
では、どうすればいいか。
50周年アニバーサリー記念講義をしてくださった東阪企画の内丸摂子プロデューサーは、ご自分が手掛けた池井戸潤さん原作の「アキラとあきら」を例にとって「登場人物のバックグラウンドを丁寧に描くことで、登場人物が何を原動力に動いているのか、どういうセリフを言うのかが形成されていくのだと思います」とお話しされています。
実際に森会長のセリフも、バックグラウンドを知れば知るほど、女性蔑視は本音なのだとわかってしまうから、責められるのですね。
人は思ってもいないことは言わない、人は思ってもいないことを言う、どちらもあります。
50周年記念新井一賞の課題は「セリフは嘘つき」でした。
嘘がドラマのポイントです。
森会長を例にとってばかりで恐縮ですが、実は森会長は、あえて女性蔑視のセリフを吐くことで、世論を喚起し、女性台頭の道を開きたいと思っての発言だったというのはどうでしょう。
ま、それには、森会長のバックグラウンドを、ちょいと、いや真逆に変えないといけませんが・・・(笑)
ドラマのセリフというのは、こういうことなのです。人物を表す。
内丸プロデューサーは「いろんな人の言葉を自分の中でインプットして、経験則の中で新たなセリフをみつけてください。そういうセリフはとても魅力的になるはずです。」
この10年、コロナ禍になって、より一層言葉は軽くなりました。
おかげで、シナリオライターにとっては、とっても見やすくわかりやすい教科書になっているではないでしょうか。
言葉の重さを噛みしめながら、ドラマ作りに役立ててください。
もううんざりと思うニュースも、作家目線で見ると面白く思えるかも。