天候
シナリオ・センター代表の小林です。今日は雨。足利の山火事は鎮圧されたとかですが、もう少し早く雨が降っていたらもっと早く消せたのではとちょっと恨みたくもなります。
でも、この雨で決定的に消火できたかなぁと思うとホッとしますが。
自然というのは、人間の力では何ともしがたいもの。なのに案外人間は考えていないものです。
自然にいつも右往左往させられているのに、のど元過ぎれば・・・というのが日本人の気質でしょうか。
新井一が、受講生のシナリオを読みながら、よく「このシーンは、晴?雨?」と訊いていました。
と、作者は、「え~」って顔して答えに窮する。
物語を考えるあまりに、天候まで頭が回っていないのです。
でも、室内であっても、外であっても、晴天なのか雨なのか、雨でも霧雨なのか本降りなのか・・・シーンの様相は一変します。
ドラマを盛り上げる大きな要素なのです。
シナリオを描く時に天候を失念しても、ドラマの場合は演出家もいますから、なんとかしてくれるでしょうけれど、だから大丈夫ではありません。
シーンを描くということは、映像を浮かべることですから、作者が考えていないようでは、魅力的なドラマを描ける腕があるとはいえません。
天候もしっかりと考えておきたいものです。
脚本家
20年以上前からでしょうか。フジテレビの高井一郎プロデューサーに、夏期合宿や、公募コンクール対策講座だとか、よくご講義をお願いしていたことがあります。
当時は、出身ライター岡田惠和さんと組んで「ビーチボーイズ」「彼女たちの時代」「天気予報の恋人」「アンティーク~西洋骨董洋菓子店」などを作られていました。
そういえば、「原稿が上がらないのに、センターでなにしているの?」と夏期合宿においでくださっていた岡田さんを追いかけていらしたこともあります。
売れっ子ライターは辛いなと思いながら拝見していましたが、プロデューサーも大変なんですね。(笑)
フジヤングシナリオ大賞の審査員をされている時にこんなご講義をしてくださっています。
「僕らは(プロデューサー)、構成やストーリーやプロットはいくらでもお手伝いできるんです。
しかし『この想いを描くんだ』という部分では、ライターの方に負けると思っています。
例えば『このあたりで好きと言わせましょう』『このタイミングで告白させるのがいいですよ』とはいえます。
しかし、もしライターが、夜の公園で二人が向き合って好きだといっているシーンを描いてきたとしたら、もう終わりです。
その人と仕事をする意味がないです。そんな程度だったら、僕らが描いちゃいます。
例えば、北川悦吏子さんだったらどう描くか。
彼の部屋の、それもトイレの前で言わせる。しかも『好き』ではなく『バリアフリーになるよ』と。
これらは僕らには一生描けません。
もしも作家にとって『こういう気持ちを描きたい』という思いが大事であればあるほど、たやすくありがちな設定にはしたくないなと思うはずです。
このキャラクターでこの状況だったら、もっとふさわしいシーンはどこだろうかとひねりだそうとするのが作家です。
思いつかない人は才能がないということです。思いついても陳腐なシーンしか描けない人は、ちょっと厳しいかもしれませんが、もうライターは諦めた方がいいと思います。
勝負どころはそこなんですから。」(2001年9月号月刊シナリオ教室から)
シナリオライターへ結構厳しいこともおっしゃっていました。
でも、その通りなんです。プロデューサーでもない、監督でもない、シナリオライターの仕事というのは。
何故、20年も前の話を思い出したかというと、実は高井プロデューサーからフジテレビを退社されるというご連絡をいただいたからです。
どんなときにも、ライターと真面目に向き合ってくださいました。
退社のご挨拶のはがきに「シナリオ命!」と書いてくださいました。
高井さんと気が合ったのは、この一言に集約されている気がしました。
20年以上にわたり、ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いいたします。
フジテレビ最後のプロデュース作品は「桶狭間~織田信長覇王の誕生~」だそうです。
海老蔵改め団十郎襲名記念、息子と娘との共演も話題のドラマです。
3月26日21:00から放映です。
高井プロデューサーのフジテレビで培った、思いを込めたドラマが、どのようにできあがったのか、楽しみに拝見したいと思っています。
いい脚本家を生み出すのは、プロデューサーの腕にもかかっています。
新人ライターとのいいご縁を繋いで、いいドラマづくりに貢献していきたいシナリオ・センターです。