マスト
シナリオ・センター代表の小林です。確か東京は、今週はずーっと雨の予報だったのですが、日曜日は台風がそれたとかで雨は降らず、のんきな連れ合いは、コロナ禍にもめげずゴルフにでかけました。ゴルフは、勝手にあっちこっちに行って自然とソーシャルディスタンスだから問題ないというのが持論です。(笑)
土日の人出はすごく多かったですね。
「オリンピックはやるのに、外出に何か問題でも?」という人々が増えているとのこと。
なにかというと、「徹底的に」「躊躇なく」「厳格に」とか抽象的な言葉しか出さないお上のいうこと、湯水のようにオリンピックには注ぎまくるのに、生活に困っている人へは手を差し伸べない姿勢、誰も言うことを聞かなくなりますよね。
でも、コロナは今も尚現前とここにいるのです。何もなくなったわけではなく、コロナは強力になり、むしろ増えてきているのです。
間違えてはいけないのは、お上がオリンピックをやるくらいだから安全だということでは全くないということです。(ま、間違える人もいないとは思いますが)
安全対策もできず、安心などできないのに行うというノー天気さにつられてはなりません。
危ない橋を一緒に渡ってはなりません。
私たちは、とても悲しいことに、自分で安全対策を講じなくては、生き延びられないのです。
マスク・手洗い・消毒はもちろんマストです。暑くてもマスクなしでの外出はしないようにしましょう。
母親病
「主婦病」(新潮社刊)で一躍支持を得た出身作家森美樹さんの新刊が出ました。
「母親病」(新潮社刊)
家族への想いを独特なタッチ、設定で描く森さん。
タイトルだけみて買うと裏切られる感じがするかもしれません。
「主婦病」もそうでしたが、「母親病」も、読者の想定を裏切るのです、とても上手に。
帯に「母のような女にだけはなりたくなかった。理想の妻としての人生を全うした母。正反対の生き方を選んだ娘。幸せを手にしたのは、果たしてー。」と書いているので、何気に読者は、専業主婦と第一戦で働くキャリアウーマンの娘との生き方の対比を想像してしまうでしょう。
でも、全く違うのです。森さんは、もっと深く鋭く人としての在り方を描いています。
家族という器の中の自分、社会の中の自分、他人の対する想い、他人との関り、突き詰めていくと、人はどこまでもドロドロとしたたぶん本人自身もわからない何かを抱えて生きているだということを、「主婦病」では金髪の少年、「母親病」では代理人材派遣会社の母に捨てられた若い男が、狂言回しのように動いて教えてくれます。
章ごとに人称が変わり、主人公の珠美子、母園枝、謎の男雪仁、訪問ヘルパーの光世の視点で、女の部分、家族としての部分を描いていきます。
そこには、それぞれの思いが詰まった食べ物が介在して、より濃密な雰囲気を醸し出しています。
人は一面でなく、母であり、娘でもあり、妻でもあり、女性であること。それは切り口としてよくあるものですが、森美樹さん独特の描き方は、その切り口すらなし崩しにしてしまうほど赤裸々に描きながら奥深く内へと導いていくのです。その手腕はみごとです。
それはたぶん、それぞれの登場人物が、シナリオの技術で言う二面性を、小説だからこそ描ける多面性にまで持っていくことで深くなっているのでは思います。
森美樹さん独特の世界をぜひ訪ねてみて下さい。