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代表 小林幸恵が毎日更新!
表参道シナリオ日記

シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。

秋風

マスカレード・ナイト(東宝9/17上映)総理の夫(東映・日活9/23上映)

霞が関文学

シナリオ・センター代表の小林です。今日の東京の感染者は1000人を下り、早くも金木犀の香りまで漂って、秋を感じます。
青学の前にある、子どもの城が都民の城に生まれ変わって、コロナの酸素ステーションになっています。
重篤になるのでは、死んでしまうのではと怯えながら、熱や下痢、嘔吐に苦しんで暮らしている自宅療養者が溢れているのに、なぜか3割くらいしか病棟は埋まっていないのだそうです。
酸素ステーション、鳴り物入りでオープンしたのに、実際に動いている看護師さんが「1日15人しか患者さんがいない日もあり、運用はどうなっているのか」と、疑問の声をあげていました。
空いているなら勝手に酸素ステーションへ行けばいいのかと思いきや、緊急ステーションも保健所もきちんと動いていないのに勝手にはダメで、結局「役所の言うことを聞いて自宅で死ね!」ということらしいです。
口ばっかりで、ちゃんと動いていない、箱もの文化の最たる国とは言え、こんなことがいつまで続くのでしょう。
お上の誰一人具体的なことは答えないので、何一つわからないし・・・と腹をたて続けているのは庶民だけで、どうも最高の「霞が関文学」が成立しているらしいです。
霞が関文学とは、守りの美学なのだそうで、いかに上手に答えているようにふるまえるか、かつラストには頑張っている感を出し、キーワードは「いずれにせよ」「全力で」「しっかり」「緊密に」「連携をしながら」「やっていきたい」であり、結果としておなじみのフレーズが多用されることになるといいます。
そういえば、前に憲政会館(尾崎行雄記念館)へ行ったときに、役所のハンコが展示されていて、前述の言葉のハンコがたくさんありましたっけ。
結局、己の保身だけで、国民の命なんか、議会政治が始まった時からなかったいうことでしょうか。
秋の風により心が寒くなっていく日々が続きます。

脚色

7月期連ドラが、最終回を迎えています。10月からまた新しいドラマの始まりです。
シナリオ・センターの正面に飾っているポスターも、「彼女はきれいだった」(MBC)のポスターから、これから上映される映画、出身ライターの松田沙也さん、杉原憲明さん脚本の「総理の夫」(東映・日活)と岡田道尚さん脚本「マスカレード・ナイト」(東宝)のポスターに変わります。
10月期は、どなたがどんなドラマを展開してくださるのか楽しみです。

ドラマ誌10月号に、出身ライターの古家和尚さんの「プロミス・シンデレラ」(TBS)のシナリオが掲載されています。
10歳下の高校生の男の子との恋に揺れるバツイチの女性の話しで、毎週楽しみに拝見していました。
古谷さんが脚本家ノートへ原作ものの「脚色」について書いていらして、「最近のドラマは漫画や小説の原作ものばかり」「日本の脚本家にはオリジナルを創る力がない」という批判に反論されていました。
私も古家さんの言う通りだと思いながら拝読しました。
原作ものをシナリオにすることを映画全盛期は「脚色」という言葉で分けていました。オリジナルを脚本、原作ものを脚色と。
今は脚色といういい方はほとんどせず、すべて脚本としているようですが、でも「脚色」っていうと、あ、原作に色をつける(変化と読んでもいいかもしれません)ってことかとわかりやすくありませんか。
原作の持っている香りを消さないようにしながら、よりよい映像表現に変えていくためにシナリオライターが色を変えたり、つけたりするってかんじ。
ただ原作に忠実に映像表現に変えるだけではないのです。
だから力がないとできないお仕事でもあります。
古家さんは「主要人物・関連人物の性別を変えて執筆する」経験もおありと書いていましたが、それで成功した例はたくさんあります。
ドラマを面白くするためには、新しい人物を投入することも、設定を変えることもあります。
小説や漫画と違って映像で見せるのですから、おのずと違う見せ方にもなり、だからこそ映像でより魅力的になるのです。
原作のファンには拒否感はあるかもしれませんが、媒体が違うのですから見せ方も伝え方も違って当たり前。ここがシナリオライターの腕の見せどころなんですね。
出身ライターの岡田恵和さんは、原作と勝負するのがお好きだとおっしゃっています。
古家さんは後輩たちに「『ドラマとして』どうやって面白く『脚色』するかもとても難しくやりがいのある仕事であることを覚えておいてください」と。

私は、勉強としても「脚色」をすると力がつくのではと思っています。
オリジナルだと、新人のうちは特にひとりよがりになりがちですが、原作を読み込む力をもてるようになれば、他人に伝えるということを客観的にできるようになるのではないかと思うからです。
シナリオ・センターでいえば、基礎研修が終わったプロ間近の作家集団の方々がやるといいだろうと思っています。
人の話しを聴く力が大事なのように、他人の作品を読む力も大事です。
霞が関文学で、ドラマを作るっていうのはどう?(くさっ!)

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