「シナリオのテクニック・手法を身につけると小説だって書ける!」というおいしい話を、脚本家・作家であるシナリオ・センター講師 柏田道夫の『シナリオ技術(スキル)で小説を書こう!』(「月刊シナリオ教室」)からご紹介。
今回は、ストーリー展開の面白さだけでなく、 うまい文章表現で読者を導くお手本ともいうべき一冊、向田邦子さんの『はめ殺し窓』から学びます。特に人物描写。人物を描き分けている部分に注目です!
血族5人を対比させた「はめ殺し窓」
小説は文章表現、描写で綴られます。その描写には主に「情景描写」「心理描写」「人物描写」があると述べました。ここのところ、向田邦子の『思い出トランプ』の諸篇を教材として、小説の造り方、アプローチ法などをあれこれと考察していて、特に物語を決定する「人物」の設定、造型について述べてきました。
作者の向田さんが主人公をどう造型し、主人公が接する(ぶつかり合う)人物(夫が主人公の場合は妻や子ども、愛人など)をどのように配置しているか?小説に限りませんが、物語の造り、方向性などは、主人公を中心に副主人公、脇役といった各人物たちの関係や配置を決めることで、大まかなカタチが見えてきます。
以前取り上げた「はめ殺し窓」という短編で(※)、どのように向田さんが人物を描いているか?この小説の主題は、主人公、視点者である江口から、派手で美貌だった母と、暗的で貧相な父、母の明的要素を継いでいる江口の娘、母の明的要素とは真逆なタイプである妻、という血族の5人を対比させた作品です。
彼らが住んでいた家が象徴的に設置されているのですが、書き出しは
“家にも貌があり年とともに老けるものだということを、江口は知らなかった。気がついたのは、この秋の臨時異動で閑な部署に廻されてからである。”
そこから長年住んだ家の細かい描写と合わせて、閑職に回された江口自身のサラリーマン時代の生い立ちが重ねられます。
描写によって人物を描き分ける
こうした描写で、視点者の江口自身が晩年に差し掛かり、住んでいる家のようにくたびれていて、パッとしない男であることが伝わります。そこから気配りに欠けるようになった女房の美津子に対しての小さな怒りがあって、娘を通しての母への思いになります。
“(略)ふと二階の窓に気がついた。はめ殺しになった小さいガラス窓から、母親のタカが覗いている。一瞬そう思ったが、五年前に死んだタカである筈はなく、よそへかたづいた一人娘の律子であった。(略)似ている。ぼんやりした薄い眉も、涙ぐんでいるような目も、涙堂と呼ばれる目の下の豊かなふくらみも、小さく「あ」と言っているような唇も、すべてそっくりである。これで束髪にしたら若いときのタカに生き写しである。”
娘を通しての母の描写があり、自分が継いでいる父の描写も直接的でなく、場面、逸話として語っています。
“「蚤の夫婦」中学の入学祝いに字引きを買ってもらったとき、江口はこのことばを引いた覚えがある。雄の蚤は雌より体が小さいと書いてあるのをたしかめ、やっぱり本当なんだとなあと感心して、それから妙に気落ちしてしまった。両親がこう呼ばれていたのを、子供のときから耳にしていたからである。父は痩せて貧相だった。”
向田さんは比喩表現の達人でした。さらに「蚤の夫婦」であった両親を表す描写として「荒神箒と米俵」という、読者のほとんどが知らないモノを出して強調しています。それがどういうもので、どう両親を表しているのかは、本文をしっかりと読んで下さい。
ともあれ、江口に嫁いで来た美津子へのその母タカの「なんだか牛蒡みたいなひとだねえ」というセリフも、まさに絶妙な比喩表現です。
それだけでなく、江口による美しい母への憧憬と恐れという「心理描写」も、絶妙な「情景描写」と合わせて読者に伝わるように書かれています。それが例えば、少年時代の江口が見た台所に置かれた、翌朝の味噌汁に使う桶の中の浅蜊と、砂を吐かせるために水の中につっこまれた錆びた出刃包丁だったりします。
小説はストーリー展開のおもしろさで読ませるタイプのものもありますが、こうした文章による描写、表現の巧みさで読者を導く小説こそが、本来の小説であることを向田作品が教えてくれます。
出典:柏田道夫 著『シナリオ技術(スキル)で小説を書こう!』(月刊シナリオ教室2019年10月号)より
※『はめ殺し窓』を引用したこちらの記事『人物造型 の対比で物語を運ぶ』も併せてご覧ください。
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小説家・脚本家 柏田道夫の「シナリオ技法で小説を書こう」ブログ記事一覧はこちらからご覧ください。比喩表現のほか、小説の人称や視点や描写などについても学んでいきましょう。
https://www.scenario.co.jp/online/20685/