本質
シナリオ・センター代表の小林です。毎日毎日、ウクライナのニュースを見ていると心が冷えてきます。見たくはないのですが、目を背けてはいけないのだと思って、我慢してみています。
昨日までは普通に暮らしていた人が、戦争という状況の変化だけでどれだけ残虐になれるのか、今回の戦争でまざまざと見せつけられました。
略奪から始まり、レイプ、拷問、虐殺と残虐な行為に走るようになるのは、戦争という狂気が生み出すものなのだとは思うのですが、その狂気は人間の本質なのかと思うと怖いです。
ですが、戦禍の避難所の中でありながら、乳飲み子を守るように抱きしめて、絶望の中に強い光を持つまなざしを見せるに母親に、生命の力を感じ、申し訳ないですが、ホッとします。そして、この親子たちをどうにかしてあげられないものかと思います。
未来を担う子どもたちを戦争から守りたい。
やれることは寄付くらいしかないのですが、遠く異国の地は、常に自分たちの目の前にもあるのだと肝に銘じて過ごしていきたいと思います。
それにしても、日本だって、戦争こそ今は起きていませんが、戦争をしたい大人たちが武器を手に入れたいと躍起になっているし、戦争放棄という素晴らしい条文を持つ憲法を変えようとするし、狂気はそこまで来ていて、いつどうなるかはわかりません。
ただただ、人間の善なる心を信じて、第三次世界大戦が勃発しないように祈るばかりです。
世界中の人に、どんな戦いにも正義はゼッタイにないのだということを知ってほしいです。
ラジオドラマ
ついにできました。
森治美・堀江史朗執筆の「いっきに書けるラジオドラマとテレビドラマ」(言視舎刊)
何度か前触れをさせていただいていましたが、絶版になった本をよみがえらせました。
森治美も堀江史朗も故人になってしまいましたが、内容は決して古いものではありません。
何故なら、基本の基の技術を伝えているからです。この本はラジオドラマのバイブルになるべく創られた本です。
本の内容は、後程お知らせしますが、執筆者のことを今日は語らせていただきます。
堀江先生は、ラジオドラマの神様と呼ばれ、戦後すぐにラジオドラマを蘇らせた方です。
すらっとした長身のダンディなまさにジェントルマンという方でした。
2009年95歳で亡くなられましたが、亡くなる1年前まで元気にシナリオ・センターで作家集団を受け持ってくださいました。
シナリオS1グランプリの審査委員長もされていて、「〇年前の佳作の○○という作品は、こういう内容で・・・○○が・・・」と何年も前の作品も克明に覚えていらっしゃる記憶力のすごさに毎回驚かされたものです。
それだけ読み込み、作品を大事にされる姿勢、一人でも多く世に出したいという気概をお持ちだったのでしょう。
日本のラジオドラマの先駆けの脚本家でもあり、映画プロデューサーでもあり、視野の広さはピカ一で、90代になられても、その目は広く深く、常に前を向いていて、いわゆる昔の自慢話をなさらない方でした。
本の中でも、初期のラジオドラマを例にとっていますが、それは基本を教えるにはわかりやすいからで、昔を懐かしむとか、自慢をするとか、そういうものではまったくありません。お読みいただくと、ラジオドラマの魅力を感じ、「どう書くか」が如実にわかることを実感されるでしょう。
最期まで堀江流ダンデイズムを貫かれた、こういうお年の召し方をしたいと、私は思っています。
出身ライターの森治美さんは、戯曲で文化庁の賞を受賞して脚本家としてデビューされました。
プロになってからは、ラジオドラマでは文化庁の芸術祭賞、ギャラクシー賞など多くの賞をいただいています。
それだけに、友人としては、もっと書けばいいのにと思うことが多々ありましたが、他人のことを自分のことのように考える質の彼女は、後進の指導にも熱心でした。
シナリオ・センタ―ではラジオドラマ講座を担当してくれ、日芸や昭和女子大などでも教えていました。
その教え方はまさに新井一の基礎技術を踏襲してくれていて、森治美流にマイクも持たず大きな声で話す姿は、受講生を魅了しました。
すらっと背が高く大きな声で話すので迫力があり、怖いもの知らずの大雑把な人間に見られがちなのですが、実は怖がりの繊細な気配りの持ち主で、添削にはまさにその気質が出て、受講生の方々に喜ばれました。
そんな彼女は、癌に負けて2017年2月70歳でこの世を去りました。
彼女の座右の銘は「才能とは長い辛抱である」
これから、創作を志す方に送りたいと思います。
そんな二人が執筆した「いっきに書けるラジオドラマとテレビドラマ」
長々人となりを書いたのは、一人でも多くプロになりたい人を応援したい二人が書いたこの本は、必ず、これからプロを目指す方にとってのよきバイブルになるはずだということを、知っていただきたかったからです。