視点視座
シナリオ・センター代表の小林です。今日は梅雨寒。霧雨に温度が上がりません。
東京の感染者は、今日は2015人、減少気味だったのでほっとしていたら11日ぶりに80人増え3人の方が亡くなられたとか・・・。
ちょっと油断していると、突っ込んでくるのですね、コロナウイルスは。
お上が「健康危機管理庁」を創設すると発表されました。
せっかく創るのでしたら、デジタル庁のようにならないように、きちんと正確に動ける、信用できるところだということをしっかり見せて欲しいです。
ひとりひとりの命を大切に扱ってほしい、ただの選挙用のアドバルーンで終わらないで、日本人の命をしっかりと守る手段を、口だけでなく手段を持って欲しいと思います。
口で言うことはとても簡単です。理想などいくらでも語れます。
命が大切、当たり前のことです。
だったらどうする?何ができるのか、どうやるのか、手段を言わなければ、絵に描いた餅と一緒、政治家の公約と同じです。
人の命は何よりも尊い・・・言葉だけでなく、観念だけでなく、どうしたら守れるのか考えなくてはと思います。
最近、これほど社会の世界の変化が激しくなっているにも関わらず、どうでもよくなっている、どうせ何をしても・・・と思っている人が増えているような気がします。
誰かが何とかしてくれる、自分一人が何をやっても何かできるわけでもない、そんな思いを持っていては、世の中も自分自身もよくならないと思うのです。
社会問題、政治は、自分たちの生活に大きくかかわってきます。
自分の視点・視座を持つこと、創作する上だけでなく、生きる上でも必要なことです。
シナリオも小説も
ただいま、「シナリオの技術で書く小説講座」が開講されています。
柏田講師の講義がPCから聞こえてきます。
今はホントに便利ですね。3階ホールまで行かなくても、下の事務局で仕事をしながら講座を受けることができるのですもの。
映像表現と文章表現の違いは、講座の一番最初にお教えします。
違いを知るというのは、とっても大事なことなのです。
その違いをしっかりとわかっていることで、シナリオで習った技術が小説に活かせるのです。
小説を読んだ時、俳句や短歌、詩を詠んだ時、歌を聞いた時、頭に心に浮かぶのは何ですか。
情景です。小説なら、文字がそのまま頭に入るのではなく、文章に描かれた情景や心情を、頭の中に映像として浮かんできます。
主人公が、あなたのイメージで動いていきませんか。
俳句でも、テレビの「プレバト」で人気の夏木先生の誉め言葉は、「句から映像が浮かんでくる」と言います。
そう、誰だって頭の中に漢字やひらがなが浮かぶのではなく、イメージ(映像)が浮かぶのです。
だから、シナリオが書ける人は、小説だってなんだって書けるのです。
いわば、シナリオの技術は、創作の基本。
よーく考えてみると、私たちの日常も同じです。
友達と仲良く飲んでいても、心の中まではわかりません。
「美味しい店で幸せ!」「久しぶりに会えて嬉しい」「あいつは他人のことを気にせず、相変わらずたくさん食べるな」「割り勘負けしないように」「会費の元を取ろう」「彼女の隣に座りたい」「彼ともっとおしゃべりをしたい」「その話聞き飽きた」
すごーく楽しんでいるのか、早く帰りたいと思っているのか、もっと飲みたい、食べたいと思っているのか。
ニコニコいつも笑っている人が実は殺人者だったという話は現実によくあります。
ニュースを見ていると「まさかあの人が」「いつも丁寧に挨拶してくれています」「おとなしい人でした」「家族の仲が良かった」とかの近所の人の声を聴きます。
そう、表面ではわからないことが現実、見えているものだけではわからない。
でも、映像表現は、見えているものだけではわからないものをわからせる技術です。
だ・か・ら、映像表現、シナリオが書ければ小説でもなんでもできちゃう。だから、柏田は、映画も小説もできちゃうんです。(笑)
まずは、シナリオより始めよ、です。