言葉=想像力
シナリオ・センター代表の小林です。8月です。盛夏。
でも、今更「真夏」という感じがしません。もう「真夏」は、ずいぶん前からいます。梅雨を退けたり戻したりしながら、今年は「真夏」がとっても威張っています。明日は、40度をこえるところもあるとか。
もう、すっかり疲れ気味です、日本中。
アホのように暑いだけでなく、コロナ感染者は加速的に増えている。
でも、期待したのに、期待したのに(笑)・・・してないけど。
どんなにお上が変わろうと、言うこともやっていることも同じ。
『やっている感』だけ。もう足かけ3年、第7波・・・ああ・・・。
『やっている感出し』、得意中の得意の技だとは知っていますけれど、人間は騙せてもコロナウイルスは騙せないし、さすがの人間もここまでくると騙されちゃあいないと思いますが。
それでも責めない国民、どこまでやさしいんでしょう。
石井光太さんの「ルポ 誰が国語力を殺すのか」(文藝春秋刊)を読んでいたら、国語力がないと想像力は育たないのだそうで、なるほどなぁと思いました。
ここ10年くらい、お上たちの言葉の貧困さと言ったらひどいものです。
使い方もわかっていないし、意味もわかっていないで使いまくり、中身ときたら基本は形容詞だけで、具体的な言葉を持っていない。しかも嘘までつく。
その上、本来、言葉を大事にするはずのマスコミがそれに突っ込みも入れないから、ますます言葉は劣化していく・・・どうしたらよいのでしょう。
石井さんの本を読んでいると子どもの未来がとても心配ですが、ま、子どもはなんか解決策にありそうですし、キッズシナリオも使える気もするし、子どもはバカじゃないですから。
なにより、このろくでもない大人たち、何とかならないでしょうか。
「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」という憲法20条、理解できますか。
シナリオの技術
先週の土曜日、サマーゼミナールを行いました。
ゼミ生だけでなく講座の方も通信の方も参加されて、楽しくためになるゼミになったのではと思いますが、いかがでしたでしょうか。
この暑い最中、170名余の方々がご参加されて、久々にイベントぽかったです。
ほぼ対面とオンラインが半々で、各クラス8名弱で行いました。
いつものゼミと違って、直すシナリオがあって、そのパッとしないシナリオをパッとさせるよう、シナリオの技術を使いこなしてくださいというゼミでした。
20枚シナリオでのゼミ以上に、技術に特化していますから、より部分を見ることができたのではないでしょうか。
シナリオ8週間講座でも、シナリオ作家養成講座でも、映像表現の技術(シナリオの技術)に特化してお教えしています。
円形人物(ラウンドキャラクター)、半円形人物(セミラウンドキャラクター)扁平人物(プレーとキャラクター)、二面性、共通性、憧れ性、タイトル法、リトマス法、対立・葛藤・相克、起承転結、三角法、セリフ法、ナレーション法、意識描写法、パントマイム法、板付き、空舞台法、伏線、小道具法、大道具法、走り、風景・風物、アンチテーゼ、天地人、なで型、張り手型、セリフはウソつき、カットバック、空き巣法、スリ法、シャレード、モンタージュ、事件・事情・事実、説明セリフ、感情セリフ、情緒セリフ、聞いたか坊主、直線回想法、サンドウィッチ回想法、扇状回想法・・・etcetc。
覚えていらっしゃいましたか?
私が思いつくまま技術を書き連ねましたが、これらを駆使して、面白い魅力的なシナリオを創るわけですね。
とかく、長編を書きだすとどうしてシナリオの技術を忘れがちです。
つい感性で、感覚で書いてしまう、ストーリー性にとらわれ過ぎてディテールに頭がいかなくなります。
そうすると、シナリオの技術を忘れちゃうんですね。
今回のサマーゼミナールは、灼熱地獄の中でも「初心忘れるべからず」を徹底していただくためのものでした。(笑)
シナリオの技術は、ご自分の感性、感覚を、多くの人に伝えるための方法です。
20枚シナリオという勉強の仕方を考案した新井一は、
「なぜ20枚かというと、これ以上長くするとそこにストーリー性が忍び込みます。
そうするとそうしても事件を追うのに汲々して、事件の都合に合わせて人間を描くようになります。
初心のうちはストーリーといえば事件を投入したがります。そこで事件をお面白くするために人間を曲がった方向にもっていくのです。
その意味でも、事件から引き離す必要があるのです。
まず人間の基本の描写(眺め方)ができれば、事件はどんなものでもそれに応じて動いていくのです。
ドラマを追及するということは、生きた人間を描くのです。
人間を厳しく見つめる目を養成したい。そのための20枚シナリオです。」
もう一度初心に戻って、シナリオの技術を追求する夏にしましょう。
それこそが視聴者を引き付けるためのドラマの一歩です。