吉右衛門丈
シナリオ・センター代表の小林です。昨日は、日曜日の説明会の代休をいただきました。
お休みをいただいて、歌舞伎座へ行ってまいりました。
「秀山祭九月大歌舞伎 二世中村吉右衛門一周忌追善」
歌舞伎役者の吉右衛門さんをご存じない方も「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵はご存じのことと思います。
私の御贔屓の昨年亡くなられた吉右衛門丈の追善公演です。
第二部の「松浦の太鼓」で、追善口上があるので、どうしても観たかったのです。
追善口上は、吉右衛門さんの兄の白鸚、吉右衛門さんと同じ播磨屋一門の中村歌六、梅玉さんのお三方。
それぞれが思いの丈を語られて、ああ、本当に亡くなってしまったのだと、改めて感じました。
この後の第三部の舞踊「昇龍哀別瀬戸内 藤戸」には吉右衛門さんの娘婿尾上菊之助(45)、孫の尾上丑之助(8)さんが出演。丑之助さんは浜の童和吉という役を演じています。
息子がいない吉右衛門さんは、初孫が可愛くて可愛くて「孫とともに舞台を踏む」ことを本当に楽しみにされていました。
その夢は叶わず、さぞかし無念だったことと思いますが、吉右衛門さんが残されたものは脈々と受け継がれていく、ある意味幸せな仕事なのだと思います。
吉右衛門さんは、「これいいんだと思ったらおしまい」とよくおっしゃっていたそうです。
芸ごとには、正解がないだけに尽きることのない研鑽が必要なのでしょう。
それは、私達にも言えることではないでしょうか。表現することに正解も終わりもありません。
役者に深切
今日は、吉右衛門丈のお話しばかりになりますが・・・。
お兄さんの白鸚さんが、「松浦の太鼓」の松浦鎮信を演じたのですが、「80歳傘寿になって初役を演じたのは弟を想って」のことだとか。
80歳には全然見えませんし、「ラマンチャの男」もまたおやりになるくらいですからお元気なのでしょうけれど、一度もやったことのない役を追善の舞台でやるというのはとても勇気のいることだったのではと思います。
兄は高麗屋、弟は養子になり播磨屋を継ぐ宿命を背負った者として、ともに芸の研鑽に励んできた兄弟の絆を感じる言葉でした。
私は、何年か前、吉右衛門さんが松浦鎮信を演じられた「松浦の太鼓」を拝見しているので、白鸚さんがどのように演じるのかなぁと思いながら拝見しました。
兄弟でも全然タイプが違うと思っていたのに、兄弟だからでしょうか、不思議と似ていました。
素人目ですからよくはわかりませんが、白鷗丈は初役ではあっても、吉右衛門丈とは違う役作りをされていたように思いました。
この話は忠臣蔵、赤穂浪士を見守る松浦侯のお話です。
この松浦侯のキャラクターというのがなかなかなのです。
松浦邸は、吉良邸のお隣さんです。
浅野内匠頭を気の毒に思っている松浦侯は、赤穂浪士がなかなか討ち入りをしないことにイラついています。
なので、赤穂浪士大高源吾に俳諧の師である其角が松浦侯から拝領した羽織をあげたことに怒ったり、大高源吾の妹である腰元のお縫まで当たり散らして首にしようとしたりします。
喜怒哀楽の激しい人ですが、その実、とても純粋で、忠義を重んじ、俳句を愛しやさしさと鷹揚さを持っている人なのです。
大きな見せ場は、源吾と其角が交わした「年の瀬や 川の流れと 人の身は」の上の句に源吾の下の句「明日待たるるその宝船」で、討ち入りを感じるところ。
お隣の吉良邸から聴こえてきた陣太鼓。音を指折って数えて、山鹿流の陣太鼓だとわかり、討ち入りを悟るところ。
で、助太刀しようと支度を始めて、家来の止められるところ。
大高源吾がはせ参じて、本懐を遂げた報告をし、ほめたたえるところ。
不機嫌になったり、近習のゴマすりに乗ったり、怒り狂ったり、助太刀しようとはやまったり、急に褒めたたえたりと・・・コロコロ変わる松浦侯。
このキャラクターを吉右衛門さんは、ちょっとユーモラスに軽妙な中に品格がある人として演じていらしたのですが、白鷗さんはそれよりもちょっと重みのある人として演じていらしたようです。
高麗屋と播磨屋の芸風の違いなのかもしれません。
私は観たことはありませんが、片岡仁左衛門さんが演じた時はもっと滑稽な感じに見せていたとか。
三大深切のひとつ役者に深切、これこそが役者のやりがいというところでしょうか。
歌舞伎は若い方にはとっつきにくいかもしれませんが、その伝統と様式美は知っていて損はありません。
見得を切る所作は、ここで盛り上がるんだよ~とわかりやすいですし、古典とはいえお話自体そんなに難しくないので、一度ご覧になってみてください。
あ、そうそう、三谷幸喜さんの「鎌倉殿の十三人」で北条義時のお父さん時政を演じていらっしゃる坂東彌十郎さんも、第一部の「菅原伝授手習鑑」に出ていらっしゃいます。