ことば
シナリオ・センター代表の小林です。日本縦断した台風14号、そこここに大きな被害をもたらして、通り過ぎていきました。どれだけ「今までにない」ことが起こるのか、本当の最近の気候は破壊的です。
被害にあわれた方々の即対応、救済をお願いしたいです、低支持率の挽回を賭けても。
またこの週末も大雨の予想で、どうなることやら、警戒予報が出ています。
台湾では大きな地震があり、大きな被害が出ているようで、こちらも他人事とは思えません。
世界中が手を取り合って、お互いに助け合っていかなければ生き残れない時代になっているような気がします。
地球から見れば、国と国の戦争なども小さなことでしょう。人間の叡智で解決していくことはできないのでしょうか。
人は皆違うのですから、お互いが違いがあることを認識し、それぞれの言葉で話し合う、認め合い、許し合うことはできないものなのでしょうか。
先日、朝日新聞の「折々のことば」を担当されている哲学者の鷲田清一さんが「ことばの暴力と無力 それでも」と思いの丈を書かれていらして、その通りだと思いました。
「言葉がまるでうぶ毛を失くしたかのように、むきだしで人にぶつかるようになった。
露骨な差別や捨て台詞、居直りとして礫のように投げつけられたり、アリバイや言い逃れ、ときに隠れ蓑として巧みに操られたりする場面に、路上で、報道で、頻繁にふれる。
同じことの裏返しともいえようが、ことばが現実の前でうなだれる逆の光景もよく目にする。
声を上げたところで何も変わらない、聞いてもらえないと、ことばの無力にひしがれ、口をつぐんでしまう人。ことばに何かを託すことをあらかじめ断念した人びと。(略)
戦争の足音が遠くから響いてくるなか、人びとを煽ることでことばが戦争を構成してゆくこともあれば、口をつぐむことで人びとを戦争へ押しやることもある。
だから言葉の無力を前にうなだれてはいられないと焦る。」(一部抜粋)
私達は、自分の想いや考えを、きちんと表現し伝えていかねばならないのです。
創作を志す者だけでなく、すべての人びとが自分の表現を持つことが、より大切な時代ではないかと思います。
だからこそ、シナリオの技術を日本中の人に渡して、個々が声を上げられる術を身に着けていただきたいと切に願っています。
殿、恐れながらリモートでござる
出身ライター谷口雅美さんの新刊が出ました。
「殿、恐れながらリモートでござる」(講談社時代小説文庫刊)
江戸のトラブルシューター戸ノ内兵庫主人公の「殿、恐れながらブラックでござる」に次ぐ第2弾です。
第1弾の「「殿、恐れながらブラックでござる」を読ませていただいた時、これはシリーズ化されるに決まっていると、楽しみにしていました。やっぱりです。
なにしろ、主人公の江戸のトラブルシュータ―戸ノ内兵庫始め、彼の憧れの君サヤ、主人公に任務を与える彼の方、浄晃寺の住職、副住職などなど怪しいがなかなかの魅力的なキャラクターがいっぱい出てくるのです。
何よりも兵庫のキャラクターが魅力的。
剣を極めているのに剣を持たない、見識が広く、何事にも冷静沈着に対処し、下の者に優しく、目上の者にも躊躇がないまさにスーパーマンなのだが、サヤに弱い、好きな人に好きと言えない小心者なのである。
そう、キャラクター魅力の大原則、憧れ性と共通性がちゃんと描かれているからです。
その兵庫の今回の命は、全く江戸城へ登城しない毛利藩の藩主綱広を登城させろという命。
毛利藩にさりげなく潜り込んで殿の気持ちを翻意させろと言われた兵庫は、あけすけに「殿を登城させろと命令を受けてきた」綱広に。
面白がった綱広は相伴衆扱いにしてそばに置く。
そこから毛利藩転覆をはかる傀儡師、女性に化けて毛利家へ士官したい卯月、殿の寵愛を受けたいお春、正室千姫の気持ちなど、様々な糸が絡み合ってごちゃごちゃになっているのを兵庫がほどいていくのです。
そのエピソードの一つ一つが、映像でいうとシーンなのですが、見事です。
もう読ませるというより、見せていく、魅せていく、兵庫とそれぞれのキャラクターの背景・事情のぶつかり合い、そして綱広の変化、とんとんとーんと畳みかけるように動いて、次々とページをめくらせます。
谷口さんは、エンタテイメントの何たるかを熟知していて、その見せる手法はまさに手練れの剣客のようです。
これって、ドラマにしたい。だって、もうほぼほぼシナリオになっていますもの。
魅力的なキャラクター、見せ場(シーン)で創られている小説、是非ともドラマ化してください。プロデューサーの皆さま!!
あ、谷口雅美さんは、もちろんシナリオも描けますので、脚本家を探す手間も省けます。(笑)