「物語を書くならハッピーエンドにしないといけないのかな……」。いえいえ、そんなことはないんですよ!というのが今回のお話です。具体例もいろいろご紹介しておりますので、テーマの伝え方や結末を考えるときのヒントにしてください。
このコーナーでは、「自分にはシナリオを書く才能がないかも……」と悩んでいるかたへ、面白いシナリオが書けるようになるちょっとした“術”を、シナリオ・センター講師・浅田直亮著『いきなりドラマを面白くする シナリオ錬金術』(言視舎)&『月刊シナリオ教室(連載「シナリオ錬金術」)』よりご紹介いたします。
ハッピーエンドでなくてもいい
「ハッピーエンドにした方がいいんですよね?」と質問されることが、よくあります。中には、当然、ハッピーエンドの方がいいに決まってますよね? というニュアンスの方も多いです。
私の答えは「ハッピーエンドに限りませんよ。思いっきりビターな終わり方でもいいんじゃないでしょうか」です。
すると「え? だって、それじゃあ後味が悪くなるじゃありませんか?」とか「テレビドラマは、ほとんどハッピーエンドですよね」と反論されたりします。
確かに、テレビドラマは圧倒的にハッピーエンドが多く、ビターな終わり方は珍しいと言えるでしょう。それも主人公だけでなく、それまで悪役だった登場人物まで、いい人に変わっていたりして……。
テレビドラマの現場ではスポンサーという絶対的な枷があります。テレビ番組というのはタダでは作れません。制作費を出してくれるのがスポンサーです。(スポンサーが出したお金がすべて制作費に使われるわけではありませんが)
ドラマの内容が、あまりネガティブだったり社会的な良識に反したりするとスポンサーの企業イメージや商品イメージに影響を与えることもあります。場合によってはスポンサーがおりる(スポンサーをやめてしまう)ことにもなりかねません。
なので、どうしても善良な登場人物は救われ、悪人は改心するか懲らしめられ、犯罪を犯したものは捕まったり罰を受けるなど良識的な内容が多くなりがちです。
でも、コンクールは別です。スポンサーなどは考えなくていいし、むしろ今やっているテレビドラマとは違う新鮮なシナリオが求められていますので、あえてハッピーエンドにこだわることはありません。
映画は、普段テレビドラマを見慣れている観客が多いので多少は影響されますが、基本的にはハッピーエンドである必要はありません。
もちろんハッピーエンドを書いてはいけないというわけではありませんが、逆にハッピーエンドにこだわりすぎると、主人公にとって、あるいは作者自身にとって都合のいいように都合のいいように、まとめようとしてしまい、ドラマがなくなりがちというデメリットもあります。
また、ハッピーエンドじゃなくても後味が悪くならないこともありますし、さらには、あえてハッピーエンドではなくビターな終わり方だからこそ伝わりやすくなることもあります。
というわけで今回は、「良薬は口に苦しの術」!
(今回は結末の話なのでネタバレありまくりです。ご了承ください)
『ローマの休日』のラスト
まずは映画『ローマの休日』を観てみましょう。
というと、あれ?『ローマの休日』ってハッピーエンドじゃなかったっけ? と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
ストーリーは、ヨーロッパ歴訪中のアン王女(オードリー・ヘプバーン)がイタリアのローマに到着した夜、こっそり宿泊していた宮殿を抜け出し、アメリカ人の新聞記者ジョー・ブラッドレー(グレゴリー・ペック)と出会います。二人はやがて魅かれあい恋に落ちるのですが……というラブストーリー。
船上のダンスホールでアン王女を迎えにきた諜報員たちと乱闘になり、川を泳いで対岸に逃げた二人は初めてキスを交わします。しかし、アン王女は宮殿に戻ることを選びます。宮殿の前に停めた車の中で再びキスを交わしますが、アン王女は去っていきます。
翌日の記者会見で二人は王女と新聞記者として再会しますが、記者会見が終わるとアン王女は精一杯の笑顔を見せて去っていきます。新聞記者は最後までアン王女が姿を消した先を見ていますが、やがて、ゆっくり立ち去っていきます。一度立ち止まり振り向きますが誰の姿もなく……。そして、新聞記者も立ち去って映画が終わります。
つまり二人の恋は結ばれることはなく、ラブストーリーとしてはハッピーエンドではありません。でも、この後、アン王女は王女という与えられた立場を自分で考え行動して自分らしく生きていくんだろうなあと想像させ、後味が悪くないので、ハッピーエンドのような印象が残っていたとしても無理はありません。
ハッピーエンドでなくても必ずしも後味が悪くなるわけではないのです。
テーマを伝えやすい
ハッピーエンドではない方がテーマが伝わりやすくなることもあります。
基礎講座で、テーマの伝え方の話をするとき、たとえば戦争反対というテーマをラブストーリーというモチーフで描くと「あんなに愛し合っていた恋人同士が戦争によって引き裂かれる話」という表現になりますよ、という例を挙げます。
その代表的な映画が『ひまわり』です。
第二次世界大戦中、ジョバンナ(ソフィア・ローレン )とアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は結婚し、新婚休暇で兵役を先延ばしにしますが、その休暇も終わりが迫り、離れたくない二人はアントニオが精神病であると装います。しかし、詐病がばれアントニオはロシア戦線に送られてしまいます。
戦争が終わり、行方が分からないアントニオを探しに、ジョバンナはロシアを訪れます。そこでロシア戦線の悲惨さを知ることになります。
ついにアントニオは生きていることが分かりますが、家には妻子がいます。帰宅したアントニオの姿を一目見ただけでジョバンナは汽車に飛び乗り、イタリアに帰国します。
その後、今度はアントニオがイタリアに訪ねてきます。アントニオは、このまま二人で一緒に行こうと言い、二人は抱き合いキスをします。その時、赤ちゃんの泣き声が聞こえます。すでにジョバンナにも夫と子どもがいるのです。
ラストシーンは駅です。アントニオは汽車の窓からジョバンナを見ています。ジョバンナもホームに立ちアントニオを見ています。何も言わず、やや呆然といった様子で立ちつくし見つめ合っています。汽車が動き出します。ジョバンナは、なすすべなく立ちつくし、ただ涙を流すのです。
二人が結ばれずハッピーエンドではないからこそ、はっきりとテーマが伝わってきます。
『それでもボクはやってない』と『白夜行』
もう一つ、ハッピーエンドではないからこそテーマが伝わりやすくなっている例として映画『それでもボクはやってない』を観てみましょう。
ストーリーは、加瀬亮さん演じる主人公・金子徹平が、朝のラッシュの電車内で痴漢の濡れ衣を着せられますが、示談を拒んだために逮捕・起訴されて裁判を戦うことになります。弁護士や友人たちは徹平の無実を晴らそうとしますが……という社会派ドラマです。
後半、現場を再現して検証してみると、検察の主張に矛盾があることが分かったり、徹平がドアに挟まった上着を抜こうとしていたのを目撃した女性が見つかったり、徹平の無罪の証拠が揃ってきます。それでも下された判決は懲役三月、執行猶予三年、つまり有罪です。
無実を晴らすことができず、ハッピーエンドではないからこそ、日本の司法制度の矛盾や現実といったテーマがより伝わってきます。
テレビドラマでも、本当にごく稀にですが、ハッピーエンドではない例があります。
『白夜行』が、その一つです。
山田孝之さん演じる桐原亮司と綾瀬はるかさん演じる西本雪穂は、小学生のころに出会い、互いに初恋の相手でしたが、亮司は自分の父親が雪穂の母親に金を渡し、雪穂にわいせつ行為をしていたのを目撃し、父親を殺害したという秘密があります。その秘密を隠し通すため、亮司と雪穂は見知らぬ他人であることを装いつつ殺人を重ねていくというストーリー。
最終話、亮司は自ら腹を刺し、歩道橋から飛び降ります。一度は駆けつけた雪穂ですが、亮司に「行って」と言われ、背を向け歩き去ります。亮司は、そのまま路上で息を引き取ります。
その後、雪穂は警察の取り調べを受けますが嘘をつき通します。二人が結ばれることもなく、また、テレビドラマでは珍しく雪穂は逮捕されず罪を問われずに生き続けます。
ただ、結局 雪穂は借金まみれとなり、生きる屍のようになります。そして、二人の犯罪を追い続けた元刑事と、二人の幼い頃を知る図書館員のセリフで、死ぬこともできず、本当のことを誰にも言えず、生きること自体、罪みたいなものじゃないか、と語られます。
さらに雪穂が亮司の子どもと手をつなぐラストシーンで、少しだけ救いを持たせています。
出典:『月刊シナリオ教室』(2011年6月号)掲載の「シナリオ錬金術/浅田直亮」より
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