シナリオ・センター創設者・新井一は、『シナリオの基礎技術』『シナリオの技術』などシナリオの書き方に関する書籍をいくつも執筆しています。また、『月刊シナリオ教室』でも連載ページをもち、シナリオの技術を解説していました。その記事は、いま読んでも全く色褪せていません。
そこで、当時の記事を皆さんにご紹介。「シナリオってどう書くの?」という初心者の方も、「一度学んだけど、忘れちゃった…」という方も、これを読めばシナリオ作りが一層はかどります!
今回ご紹介するのは、シナリオを書く上での大前提、基本の基本、です。ト書についての理解が深まるとともに、「シナリオは小説とどう違うの?」という疑問も解消です。
ト書は地の文とは違う
カメラは、レンズに写るもの以外は写すことができません。
シナリオは小説と同じように原稿用紙に書くのですが、「地の文」と「ト書」の違いが出てまいります。「地の文」は文章で表現ができるのですが、「ト書」は必ずレンズというものを通して、フィルムに焼き付ける作業があるので、実は制限が多いのです。
つまりシナリオというのは、いつもカメラを意識しながら、「写るかな」とか「写らないかな」ということを考えながら筆を進めていく宿命があるのです。ですから、文章では書けるが、カメラでは写らないものは何かを知っておく必要があります。
カメラには写らない「時間」と「心理」
まず時間は写りません。シナリオの柱の下に、よく(翌日)と書いて納得しているライターがいますが、翌日は写らないのです。一年経つなら一年経ったよ、ということを絵で見せる必要があります。
「やがて」「まもなく」「そうこうするうちに」等も文章ではわかりますが、カメラの撮りようがありません。文章の中に時間が忍び込んでいるものもあります。
「久子、着替えて外に出る」とありますが、「着替え」というのを忠実にカメラで追うならば、「着替える」のですから、脱いで新しいものを着る様子を、ずっとカメラは付き合わなければなりません。
写らないものは、そればかりではありません。
その最たるものに、「心理描写」があります。心の中で思っていることは、どんな上手なカメラマンでも撮ることはできません。
小説では簡単ですね。「殺してやりたいと思った」と書けば、その登場人物の気持ちはよくわかります。でもカメラは、心の中の気持ちはひとかけらも表現することができません。
何回も言うようですが、そこが文章とト書の違いです。
出典:『月刊シナリオ教室』2001年11月号「新井語録」より一部抜粋/2019年3月号「新井一.com」
★次回6月6日に更新予定です★
※「目に見えるように描く」ことについて語ったこちらの記事も併せて!
▼「脚本を 書く から 描く へ」
「シナリオは、だれでもうまくなれます」
「基礎さえしっかりしていれば、いま書いているライターぐらいには到達することは可能です」と、新井一は言っています。“最初の一歩”として、各講座に向けた体験ワークショップもオススメです。
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