シナリオ・センター創設者・新井一は、『シナリオの基礎技術』『シナリオの技術』などシナリオの書き方に関する書籍をいくつも執筆しています。また、『月刊シナリオ教室』でも連載ページをもち、シナリオの技術を解説していました。その記事は、いま読んでも全く色褪せていません。
以前、代表の小林はブログ記事「シナリオ書き」でこう振り返っていました。
<創設者の新井一がよく言っていたこと。「思いやりがなければシナリオ書きになれない」。誰でもシナリオライターになれる、と常に標榜している新井一が、“なれない条件”を出したことに、当時私はびっくりしました>
この「思いやり」についてを今回はご紹介。いまシナリオを書いている方、いまシナリオライターを目指している方にとっても変わらず大切なことではないでしょうか?参考にしてください。
相手を考える余裕がない
「ちょっとした心づかいも味のうち」という専売公社のコマーシャルが、テレビで放映されています。煙草を吸っていると、煙が隣に座っている大五郎に行くので、そっと自分の釣り場所を変える心づかいをしています。何気ない、相手のためを思ってする行動がほのぼのとした感じさえ与えます。
この「思いやり」という気持ちは、人間が社会生活をしていく上でなくてはならない心掛けです。自分だけで生活しているのではないのですから、当然自分以外の人のことを考えなければなりません。
ところがこのコマーシャルがほのぼのと感じさせるということは、今の世の中が、いかに自分中心となって「他人のことなんか構っていられるか」という風潮になってきているのではないでしょうか。
電車に乗れば、座席に大股開いて漫画本を開いている若者は後を絶ちませんし、満員電車の入り口にたむろして、客の出入りに迷惑だろうが話しているグループもあります。
よく付き合ってみると、そうした傍若無人の振る舞いをする人でも、気がつかなかったとか一生懸命だったとか、必ずしも悪気があるわけではないことはわかります。つまり相手を考える余裕がないということです。
共感を得るものを書く=相手のことを考える
このことは、我々のシナリオ執筆にも言えるのではないでしょうか。
「いいものを書こう」「傑作を書こう」と自分の持っている材料をいかに有効に作るかに努力するでしょう。それはいいのですが、ややもすれば、自分の考えが正しいのだ、そしてこの正しさが当然で、共感しないほうがおかしいのだという考え方が底に流れます。
我々は映画なら2百万人、テレビなら2千万人の人がわかり、共感を得るものを書く、つまり相手を考えなければなりません。ストーリーが展開し、セリフは飛び交っているのですが、何かがつまらないというのは、思いやりが足りないからです。
そうした余裕をもって初めてプロの作家といえましょう。日常生活でも、作品でも、余裕を持ってほしいと思います。
出典:『月刊シナリオ教室』1980年8月号新井一「巻頭言」/2021年5月号「新井一.com」
★次回9月12日に更新予定です★
※こちらの記事も併せてご覧ください。
▼シナリオライターに必要な「思いやり」
「シナリオは、だれでもうまくなれます」
「基礎さえしっかりしていれば、いま書いているライターぐらいには到達することは可能です」と、新井一は言っています。“最初の一歩”として、各講座に向けた体験ワークショップもオススメです。
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