私事で・・・
シナリオ・センター代表の小林です。7月21日以来のご無沙汰です。
私事で恐縮ですが、こんなに長く体調不良でおやすみしたことがなかったので、ちょっとお話しさせていただきます。
簡単にいうと2週間ほどぶっ倒れておりました。コロナから数えたらほぼ3週間。
7月11日にコロナにまさかの罹患、コロナは熱も出ず咳くらいで軽めですみ、隔離解禁で出社して元気だったのですが、その週末急に背中が痛くなり、高熱に襲われました。
子どもの頃にはしかや水ぼうそうで熱を出した以来のことで、ここ50年以上37度以上の熱などだしたことのない私が、39.8℃を最高に、38℃、39℃を行ったり来たりというのが1週間続きました。原因は不明。
さすがに一番熱が高かった3~4日は、食欲の権化のこの私が食欲は全くなく、4.8キロも痩せました。ウフフ。
でも、病気で痩せるというのは、その時だけですね。
「どうした家康」(NHK)をみながら、つくづく明智光秀の心境に想いを馳せました。
「やった!」と思ったけれど、三日天下。そう簡単なもんじゃないわ、天下を取るのも、痩せるのも。(笑)
それでも、痩せる事より、体力気力のあるデブがいいとしみじみ思えたこの2週間でした。
どうも最近、このような原因不明の高熱が流行っているらしく、俳優の大竹しのぶさんも、舞台が終わった途端1週間原因不明の高熱に襲われたと。
大竹しのぶさんが、医師に炎症反応の数値はまだよくないけれど、他の数値は20代・30代の数値と聞かされて、急に元気になったというオチに笑わせられました。若い力があるということはなによりのことです。
皆様、コロナもまた蔓延しているようですし、どうもこうした原因不明の病気の人が増えているようですので、くれぐれもお気をつけくださいね。猛暑に熱中症もありますしね。
天国校へのお見送り
7月24日に、3月に亡くなった後藤千津子のお別れ会を催しました。
私は、こんな状態で、私の中の、いえシナリオ・センターの一大イベントである後藤千津子所長のお別れ会に主催者でありながら出られず、ご参加いただいた皆様には、ご挨拶もできず本当に失礼をいたしました。
私の不徳といたすところか、後藤の呪いか(笑)、どんな時でもイベントを外したことのない私なので、悔しい気もちでいっぱいでした。
後藤千津子のお別れ会は、後藤クラスのOB、出身ライターの方々を中心に150名ほどの方々においでいただきました。後藤がとても大事にしていた名古屋教室のメンバーの方もわざわざおいでくださいました。
このお別れ会は、後藤の「シナリオ・センター天国校所長就任の会」といたしました。
後藤は1970年シナリオ・センター創設以来新井の右腕として全国津々浦々二人で出かけ、新井亡き後は所長として、私と二人三脚で新井イズムの継承に力を注いでくれました。
シナリオ・センターにすべてを注いだ、シナリオ教育へ命を懸けたシナリオ人生だったと思います。
ですので、ただ亡くなったから見送るという会にはしたくなかったのです。
天国には、もはや新井一を筆頭に顧問の堀江史朗も、事務局長も多くの講師もおいでなので、シナリオ・センター天国校の所長就任が、一番ふさわしいかと。
ですから、みなさん!シナリオ・センターは、東京青山校、横浜校、大阪校のみならず天国校もありますので、どこまでもいつまでもシナリオを楽しんでいただけると思います。あ、林海象監督は、地獄校は任せてと仰ってくださったそう。針の山での結構厳しい学校になりますかね。(笑)
会では、後藤所長と同期の新井教室1期生柏原寛司さんと上原講師に後藤の大好きなフルボディの赤ワインで献杯の音頭を取っていただき、加藤正人さん、森下佳子さん等々の出身ライターの方々、OBの方々からもお話をいただいたりと、同窓会さながらの和気あいあいの会だったようです。
祭壇の花も天国へ上がっていくイメージと後藤の好きな小花を主体にしてほしいと何度も打ち合わせを重ね、東京會舘のショコラティエに後藤の好きな桜の花のチョコレートをお願いし、お部屋も皇居を臨む桜の間にしていただき、お土産も後藤の好きなものにと、万全体制で臨んだというのに・・・ホント悔しいです。
でも、私などがいなくても、後藤はたくさんの笑顔に見送られて、喜んで天国校へと旅立ちました。
今更ですが、後藤所長53年間、ありがとうございました。お疲れ様でした。
これからは、新井一樹を筆頭に若いスタッフ・講師たちが、しっかりと新井イズムを継承してまいります。
「すべては基本から」基礎の技術をしっかりつけていただくことで、創作への大きな一歩となります。
天国校ではなく、まずはこの現世で、頑張って基本の底力を付けて行きましょう。