長崎原爆の日
シナリオ・センター代表の小林です。長崎原爆の日です。
台風のために参加者を絞っての式典だったようですが、心ある人だけで行えたことは反対にとてもよかった気がします。
部外者は・・・本来少なくとも日本国の長は部外者であってはならないのですが・・・口だけです。
誰だって、原爆など落していいとは思っていない、戦争をしたいとも思っていないはず。
だとしたら、唯一の被爆国日本の長は、鈴木長崎市長が迫らなくても「核抑止への依存からの脱却を勇気を持って決断すべきだ」と思い、核兵器禁止条約への署名、批准とともに、平均年齢が85歳を超えた被爆者援護を言われなくても当たり前にやるべきなのです。
ですが、お上たちは常に部外者です。台湾に言って、「戦う覚悟」なんて言える麻生さんをみてもわかります。ひとりで突撃したらいいじゃんと言いたくなります。
被害にあうのは下々、国民です。戦争に追いやられるのも下々、国民です。
高校生平和大使のろう学校3年生の塚根みずなさんは、この長崎原爆の日の式典で手話通訳をされました。
2年生の時に被爆された医師朝長万左男さんに「原爆の放射線によってもたらされる被爆はずーっと続く」、被爆2世平野伸人さんに「微力だけど無力ではない」というお話を聴いて、自分でも何かできるのではと思ったからだそうです。
広島での子どもたちもそうですが、17歳の塚根さん始め多くの若者が想いをきちんと受け止めてくれることはとても嬉しく、大人である私たちのバカさ加減を見つめ直さなければと思ってしまいます。
8月6日広島原爆の日、8月9日長崎原爆の日、8月15日敗戦記念日(終戦ではありません)。
この尋常ではない暑さ以上に熱く苦しんだ方々へ思いを馳せ、何があってもいつか来た道に子どもたちを向かわせないように大人である私たちは、本気で不戦を誓いたいと思います。
福田村事件
出身ライターの森達也監督が、初めてドキュメンタリーではなく、劇映画を作られました。
「福田村事件」
関東大震災から100年、小池東京都知事は「朝鮮人犠牲者追悼式典」への追悼文を2017年以来拒否続けていますが、この「福田村事件」朝鮮人殺害ではありませんが、朝鮮人と決めつけられて虐殺された本当にあった事件です。
関東大震災の時は、朝鮮人が井戸に毒を入れたなどの様々なデマが飛び、疑心暗鬼になった人々が朝鮮人の方たちを殺害しました。
「福田村事件」は関東大震災から5日後、千葉県福田村で起きた事件です。
四国から来た薬の行商人の一団15人が、讃岐弁を朝鮮語と間違えられ、地元の自警団に幼児、妊婦を含む9人が惨殺された事件です。
森監督は、オウム教団を内部から撮った「A」「A2」、ニセ作曲家の佐村河内守さんの「FAKE」、東京新聞の望月記者の「i」など、独特の視点でドキュメンタリーを作られてきました。
その視座で、初めて劇映画に挑戦されたのが「福田村事件」です。
9月1日全国公開されます。
この映画の焦点は、被害者ではなく、普通の市井の人々が加害者と化す過程です。
「一人称の主語を失う怖さに気づいて」と森監督。
森監督は「ごく普通の人、善良な人が悪を犯すということ。僕にもその要素はある。あなたにだってある。
そしてそれは、集団の力学によって誘発されるのです」
「人間はケダモノにも聖人にもなる。ナチス親衛隊のクメール・ルージュの幹部も家に帰ればよき夫、息子だった。
群れの暴走は世界中どこにでも起きる。
でも同調圧力と忖度の強い日本では、この力学が明らかに働きやすいと思う。特に戦争や災害で不安や猜疑の空気が充満したときに」
森監督が100年前の虐殺事件をどのように描いたのか、人間の本質に迫る問題だと思います。
人間は決して善ではなく悪にもなるということを、常に自分自身に問い続けることは大切なことなのだと思います。
この夏、様々なところで戦争を感じることができます。
8/19、出身の柏田道夫脚本、五十嵐匠監督の「島守の塔」が宇都宮の「平和祈念公演」で上映されます。柏田道夫さんの講演もあるそうです。
また8/30~9/3 講師の松本京さんが「戦争三部作散りゆくシリーズ」の最終章「群青に散りゆく」を中目黒キンケロシアターで上演されます。
戦争は、決して他人事でも、起こらないことでもないのです。
決して起こさないために、私たちは戦争とは何か、何故起きるのかをキチンと学んでいきたいと思います。
暑い夏をさらに熱くしましょう。