伝える
シナリオ・センター代表の小林です。
さわやかな秋晴れの表参道で、149期シナリオ作家養成講座が開講しました。
土曜日のラジオ「岡田惠和 今宵ロックバーで」(NHK)に、爆笑問題の太田光さんが出演され、おふたりともシナリオ・センター出身というお話をしてくださっていました。嬉しい!
早速聴き逃し配信でお聴きしたのですが、この情報を教えてくださったのは出身作家の原田ひ香さん。
みなさんがシナリオ・センターのことを思ってくださっていることがとても嬉しくて、今日のオリエンテーションは思わず弾んでしまいました。
ありがとうございます。
受講生の皆さんにお話しをしながら、やはり声をあげる、自分の想いを伝えることは大事だなぁと思いました。
ジャニーズ事務所の件などもそうですが、子どもを一人にするのは虐待と言っていた埼玉県議自民党は、虐待防止法の改正案を引っ込めました。それは、多くの人が「おかしい」という声をあげたからです。
本当は当たり前ですが、少しずつでも下々の声を伝えることができるようになっていることは、喜ばしいことだと思います。
シナリオの発想は、必ず一方的に考えるのではなく、アクションとリアクション、自分と他人の両方のことを考えないとできないので、この考え方・伝え方を使って、声をあげる力をつけていけるといいですね。
是非、マスメディアもお勉強してください。
視点
財界人文芸誌「ほほづゑ」とい季刊誌を小・中学校の大先輩である財界人の方が時々送ってくださいます。
私とはまったく違う立場におられる方々が創られている季刊誌なので、その視点が面白く拝読させていただいています。
先日いただいた秋号に「芭蕉の視力」について書いていらっしゃるものがあり、「芭蕉の視点」ではなく「視力」ということに興味をそそられました。
眼科医の秋谷忍先生のご本を参考に書かれていらっしゃるのですが、芭蕉は「近視系屈折異常を有し遠方視力が低下していた」というのです。
この推測の下に「主観的、哲学的、瞑想的、有限的俳句作者であり、聴覚の詩人、白の詩人といわれる松尾芭蕉の芸術を理解する上で重要な背景となりうるものと考える」(秋谷忍)と書いていらっしゃるのだそうです。
こういう見方をしたことがなかったので、とても驚きましたがなるほどなぁと思いました。
確かに「古池や蛙飛び込む水の音」「閑さや岩にしみいる蝉の声」などは聴覚的ですよね。
有名な「荒海や佐渡によこたふ天の河」は、これを詠んだ日は雨だったそうで、たまさか晴れていても荒海の時に天の川は見えないので、この句は、芭蕉の幻視、想像力から生まれたものではないかと仰っています。
もしよく見えていたら、芭蕉が遠視だったら、違う句がうまれたのかもしれませんね。
私の感覚とは全く違う方のお話しは、とても興味深く新たな見方を知ることができ、大事にしなければと思いながら読ませていただきました。
五感で感じ方、表現方法が変わってくるということ。
五感は、視覚(見る)、聴覚(聴く)、味覚(味わう)、嗅覚(嗅ぐ)、触覚(皮膚で感じる)の5つの感覚のことですが、何に突出しているのかによって視点が、創作そのものが違ってくるのかもしれません。
自分がどこに優れているのかを知っているのも創作する上で案外必要なことかもしれませんね。
私は、突発性難聴で聴力が弱いので、芭蕉のように水の音は感じられないのかもしれません。
どこで一番感じているのでしょうか。
五感の中で一番優れているのは味覚かなぁ、えっ、感覚ではない、ただの食欲?