ジム1
シナリオ・センター代表の小林です。大阪校から所長の後藤千津子の追悼文集が送られてきました。
大阪校へは毎週金曜日土曜日と通って講座を受け持っていましたので、大阪校の受講生は後藤の思い出はとても濃いようで、大阪での後藤の姿が垣間見えました。
今年3月に後藤は亡くなり、コロナ禍でお見送りもできなったので、東京校では7月に偲ぶ会を行いました。
前にも書きましたが、後藤の生きざまから、私は偲ぶことではなく「天国校所長就任」がふさわしいと思い、「所長就任祝い」として後藤と関わった方々に新たな出発を見送って欲しいとお願いいたしました。
天国校には、もう先に逝った新井一もおりますし、数多な講師の皆さんも控えていますので、後藤の就任はことのほか天国でも喜んでもらえていると思っています。
人は皆いつかこの世から消えていきます。
でも、ひとりひとりと真剣に向き合った人生を送ったのであれば、遺った方々の中に面影ではなく、息づいていると思うのです。
折しも、出身ライターの柏原寛司さんが、シナリオ・センターの前身である新井教室で出していた月報「ジム」NO1~4が見つかったとおっしゃって持ってきてくださいました。
1969年に発行された「ジム」には新井の話が巻頭言に、そのほかは各クラスの活躍状況、20枚シナリオのタイトル作者名の他に、クラスでのシナリオ談議を要約したものや、その日一番の出来だった作品の講評など、ひどく自由に書かれています。柏原さんや上原講師の作品への講評も出ていました。(笑)
その中に、中軽井沢の合宿では新井教室の生徒だった時の後藤の「癌ノイローゼ」をみんなで合評したと出ていました。
誰もに初めがあり、誰もが初心者だったのだと黄ばんだ「ジム」を読みながら思わず実感しました。
そして、続けて行くことで、ある者は出身ライターになり、ある者はシナリオを教え、道は様々に拓けていきます。
はじめの一歩!
踏み出すことが大切なのですね。
ジム2
「ジム」を読んでいたら、日本演劇協会の大立者の安藤鶴夫さん(小説家・演劇評論家)の訃報に接して、そこからドラマのあり方を新井が書いているのを見つけました。
朝日新聞と東京新聞が掲載した新井が親しくしていだいた安藤鶴夫さんの訃報の話しです。
『東京新聞と朝日新聞をその死を確かめるようにそっと開いた。
ともに、写真を入れた当然長い訃報だった。享年68歳。まだまだの人生が惜しまれた。
その時二紙の文章の比較がふと心をかすめた。東京新聞では、型通り病名、業績、著書、受賞などの功績がうたわれ、日本演劇協会理事もつとめたと結んであった。
朝日新聞は、やはり型通りの略歴、功績が書いてあったが、その最後に「同氏は死ぬ7日前、好物の氷あずきにアンズを入れたものを食べたところ、苦しくなって意識不明となり、そのまま入院、ついに回復しなかった」と結んであった。
無味乾燥な十数行の文章の中に、私はストーリーとドラマの違いを、こんなものだと教えれたように思えた。
東京新聞の描いてある経歴や業績はストーリーであり、朝日新聞の「氷あずきにアンズを食べた」記事からは安藤氏を偲ぶことができた。
いがぐり頭をふりたてながら「やっぱり若葉の小豆はいいよね、子どもの時よく縁日でアンズを食ったものだぜ」と糖尿病で家人が止めるのも聞かず、かっこんでいるのが目に見えてくる。
これがドラマなのではないだろうか。
私たちの20枚はそれを追求するのだ。ストーリーとドラマを間違えてはいけない。
死んで迄、こんなことを教えてくれる安藤氏はやっぱり芝居が好きだったのかもしれない』
50年以上前の文書ですが、わかりやすいですね。
そのままシナリオを描いてみる皆さんに送りたい言葉です。
ちなみに27年前、新井は大好きなお汁粉を食べて、小1時間後にばったり心筋梗塞で亡くなりました。