シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。
シナリオ・センター代表の小林です。内館さんの本を拝読したら、急にお医者様の鎌田實さんの本を思い出し読み返してみました。
「言葉で治療する」(朝日新聞出版刊)です。
「医者の言葉次第で治療の日々が天国にも地獄にもなる。」という鎌田先生の持論が展開されている本です。この本に出合ったとき、快哉を叫びました。
鎌田先生は、先生と呼ぶのが嫌いな私が先生と呼びたい方のひとりです。人を想う心に満ち溢れていらっしゃるからです。
医者が患者に対して想像力を持っていないことを嘆かれ、医者として患者とどう向き合うべきかを語られています。
私の行きつけの寿司屋の大将は、手術後2回の抗がん剤治療を受けて「抗がん剤はつらいので、補完代替治療にしたい」と医者に頼んだところ「私のいうことを聴けないのなら、もうあなたは死にますよ。緩和ケアにいきなさい。」といわれ、怒って転院し、補完代替治療に変えました。が、余命1ヶ月といわれた大将は、もう2年近く経ちますが、元気に寿司を握っています。
治療法云々の話ではありません。医者の言葉です。藁にもすがりたい患者に対しての言葉とは思えません。
鎌田先生のおっしゃる「医者の言葉次第で治療の日々が天国にも地獄にもなる。」まさにその典型です。
「カネを積まれても使いたくない日本語」のなかで、「患者様」という言葉が出てきました。同じ色に見えます。言葉は心が紡ぐものだとしみじみ思います。
昨日の続きになりますが、病院で「患者様」といわれたときは気味が悪く、病気が悪化しそうになりましたが・・・内館さんの本の中で特にびっくりしたのは、「ご住所様」「お電話番号様」と言う変な敬語。
「ご住所様をお願いいたします」「お電話番号様のほうもよろしいですか」はすごい!内館さんに怒られるけど「マジ!」「本当ですか!」と叫びたい。どこから生まれたのでしょうか。
「~のほう」「よろしいでしょうか」の乱用も気になります。「ハンバーグの方よろしいでしょうか」「お飲み物のほうよろしいでしょうか」これって敬語でしょうか。
消火器の詐欺商売で「消防署のほうから参りました」っていうのがあったけれど。
私は、どちらかというと「さんづけ」は好きです。様は、手紙くらいしか使わないけれど、「さんづけ」にすると同じ目線というか近い関係になれる気がして、例えば福山雅治さんっていうと福山雅治と呼びつけにするより身近に感じるのです、私は。(身近に感じたいだけか?)京都人の「お豆さん」とかと同じ気持ちかもしれません。
「ら抜き」は気をつけていますが、「~させて頂く」「~みたいな」「感じ」「~ですかね」「~かな」「ある意味」(笑)「~力」「~的」「思いっきり」「しっかり」「ですよね~」「~というふうに」「したいと思います」は、結構使っています。使い方に気をつけねば。
気をつけたいのは、社内敬語です。
後藤は私より偉い所長ですけれど、お客様に対しては、当たり前ですが「後藤は・・・」と言います。でも、事務局も講師も上の者を前にして呼びつけで言うのはまずいと思うのか、「先ほど小林さんもおっしゃったように・・・」とか「後藤所長は・・・」とか「後藤さんはおでかけになりました」とか言うときがあります。気がついたときは、注意しますが、スルッとでちゃうもんです。気をつけましょう。
話は違いますが、シナリオ・センターは先生という呼称も使いません。講師は技術的には受講生より知っていますが、創作の場では同じ立場だからです。
『こういった言葉遣いは、現代人の生きにくさを表しているのかもしれない。(中略)
これらの言葉の変化は、哀しい時代の哀しい変化である。はからずも、生きにくさを露呈した変化である。
だが、人として正当に強くあることを、そろそろ考えてもいいのではないか。過剰なへり下りも、あいまいな言い方も、もう十二分にやっただろう。
そしてそれらの乱用はその人を安っぽく見せる気がしてならない。
相手を思いやることと、オドオドと生きることは別ものである。まずは言葉から変えてみてはどうだろう。
相手を十分に思いやる心は貫きながら、断言すべきは断言する。その方が、ずっと伝わる。そう思う。』(「カネを積まれても使いたくない日本語」から)
あいまいにすることで、責任回避ができます。黒白をきっちりつけるだけでなく、あいまいにすることが必要なこともあるのですが、上に立つ者だけはあいまいにしてはいけません。
国を司る者は、きちんと責任を取る姿勢を常に持っていなければなりません。国民に自己責任を押しつけるのではなく、上がすべての責任をとるべきものです。
日本語のお話なのですが、人としての生き方を考えさせられた本でした。