形容詞
シナリオ・センター代表の小林です。今日も小春日和の表参道でしたが、夕方になったら急に寒くなってきました。
秋を通り越してもう初冬になっちゃった気がします。
ついこの間まで日陰を探しながら歩いていたと思ったら、今は日なたを探して歩く・・・この寒暖差の激しさに身も心もついていきません。
もう一つついていけないことがあります。
朝、テレビをつけると予算審議をしています。
日本のお上たちは、形容詞しか使わない。具体的なことは何ひとつ言わない。
具体的なことを迫られると「お答えは控えさせていただきます」と宣う。
形容詞を使っちゃいけないのはシナリオだけではないのです。お上もですよ!
だって、形容詞では映像が浮かばない、姿形が見えない、想像もできないのですよ。
下々は、具体的に私たちの生活を、私たちの幸せをどう作ってくれるのか、どう守ってくれるのかを知りたいのです。
お上の答弁を聞いていると、この人の頭の中はどうなっているのだろうと余計なことを思ってしまいます。
人は皆違うのですから、それぞれに思うことがあり、それぞれの意見が違うことは当たり前です。
ですから、違う意見を聞き、本質から逃げるのではなく、自分の意見を言えばいい。
「私はこうしたいのですが何か?」と、「いや、それはだめでしょ。」と言われたら、お互いにどうすればいいのかを具体的に考えればいいのです。
反対とか賛成とかではなく、「国民にとって何が大事なのか」を考えて、ことを為すのがお上ではないでしょうか。
自分たちの一握りの利権にふりまわされることなく、国を、国民のことを考えようとするお上はもういないのでしょうか。
ブロードキャスト
先日、新井一の法事の時に、姪が「叔母ちゃん読んだことある?」と湊かなえさんの「ブロードキャスト」という小説について訊ねられました。
湊かなえさんは、シナリオ・センターの柏田講師が、新井一から引き継いだ「公募ガイド」(その頃は月刊でした)の「600字添削講座」に投稿されてシナリオを学ばれ、柏田を師として仰いで下さっています。
小説だけでなく、「BS-i新人脚本賞」で佳作、「創作ラジオドラマ大賞」で大賞を受賞され、テレビドラマもラジオドラマも書かれています。
なので、湊さんはよく存じているのですが、私はホラーはもちろんイヤミスも体質的にダメで、ブレイクした「告白」以来、湊さんの小説は敬遠していました。
と、姪は「4,5年くらい前の本だと思うけど、お祖父ちゃんのシナリオ基礎技術とシナリオ技術を参考図書にあげているよ。叔母ちゃんの嫌いなイヤミスではなく青春小説だよ」
で、早速姪が貸してくれた「ブロードキャスト」を読みました。
最後に出ていました参考図書。シナリオの基礎技術、シナリオの技術。ちょっと嬉しい。
それだけではなく、シナリオの書き方が小説の中に。ト書3マス下げとか。
終章は、元小説家でドラマも書いていたという湊さんの分身のようなパン屋のおばさんがでてきて、ラジオドラマの脚本を描きたいという高校生にシナリオ指南をします。
文章表現で描かれたものが映像表現に、そして、ラジオドラマに、一人称視点が神視点に変わっていく様子が描かれていて、まさにシナリオ教本みたいな終章にびっくりしました。
もうお読みになられた方もたくさんいらっしゃるかと思うのですが、図らずも新井一の27回忌に湊さんのこの小説を知ることができたことは、なんだか新井に導かれた気がしました。
解説にこの続編の「ドキュメント」という小説も書かれているというので、早速注文しました。
湊さんは、何かの取材で「一番力を入れているのはキャラクター設定。キャラクター設定を決めておくと、登場人物がそれぞれ動き始め、そのどこを描こうかなと取捨選択して書いていく」と仰っていました。
そう、キャラクターですよね、キャラクター。