認識
シナリオ・センター代表の小林です。今日の表参道は寒いので、酸辣湯麺を食べました。
寒い時は、熱々のとろみがあるおそばがなにより。酸っぱくってピリッとして、いつも以上の胡椒が利いていて、たっぷり暖まりました。
毎朝起きると、今日のランチはなにを食べようかと考えます。
これが太るもとに違いないとわかっているのですが、起きたとたん、ポッと浮かんじゃうんだから仕方がないじゃん。(笑)痩せるとシワシワになるしねぇ~とか言い訳しながら、大きくなっていく自分を肯定していることに忸怩たる思いの毎日です。
この人の企業献金に対する認識というのはどういうものなのか疑いたくなります。
経団連の十倉会長、毎年24億も自民党に献金して社会貢献の一つだ、何が悪いとおっしゃる。
これほどさらりと企業献金の何が悪いと言われっちゃうと、開いた口も塞がりません。もらう方も図々しい。自民党は政党交付金を160億ももらっているのです(私たちの税金ですよ)から、とても企業献金などいただけませんとか言ってみたらどうですかね。
ま、政治資金パーティーでせっせと裏金作りに励んでいるのですからありえないでしょうけれど。
企業献金は癒着や賄賂に繋がるからやめようと、政党交付金制度を作った気がしますが・・・。幻想?
この癒着が、大企業の法人税下げ、消費税還付になっていると思うと心底腹が立ちます!!
日本の貧困率15.4%。寒空に1日1食しか食べられない子どもたちがどれだけいると思っているの?
あなたの孫は美味しいものをたらふく食べているでしょうが、食べられない子どももいるのだということぐらい知って欲しい。自民党にあげるくらいなら、24億円、子どもたちにください。
人間を描く
山田太一さんが亡くなって、後輩の脚本家の多くの方がショックを受けています。
ちょっと前には伊集院静さんも亡くなり、どんどん物ごとを知っている創作者がいなくなってしまうことに寂しさよりも恐怖を感じます。
最近のドラマを見ていると、先へ先へと興味を惹かせてみせていく作りがよしとされているように見受けられます。
「人間を描く」ことを重要としないストーリー設定の奇抜さ、早い展開だけの面白さでドラマを創ろうとする傾向になっていると聞きます。
若い人はもたもたした展開が好きじゃないからだそうです。
そうでしょうか。それでいいのでしょうか。
ドラマとは「人間を描くこと」と言われてきました。
ストーリーは多くて36通り、新井一は23通りといいます。
わずかストーリーパターンしかないのに、多くのドラマが生まれるのはキャラクター、登場人物の葛藤や対立がドラマを創っていくからです。
そこにドラマの本質があり、そうした人間の弱さや悪さや、やさしさや強さを描くことで人間性を追求していくのです。
シナリオはもちろん小説や戯曲などもそうですが、人間を描いてみせることによって、人としてのあり方や生き方を伝えていくことではないかと思うのです。
どっかの会長のように人間のことをわからずにいたら、人としてあるべき姿を見失ってしまうのではないでしょうか。
今一度、山田太一さんの創られたドラマを見て欲しいと思います。
丹念に創られた人間関係が、その人物の葛藤がどれだけドラマを深く魅力的にしているかということを。
そして、そうしたドラマがどれだけ私たちの精神成長を促してくれるかということを。
もし、今の若者たちが「人間を描くドラマ」を求めていないとしたら、私たち作り手が魅力ある作り方をしていないということでしょう。
人間である限り、「人間を描く」ことが琴線にふれないことはありえないのですから。
「小説や戯曲もそうですが、シナリオでも当然、最終的には人物を描くことなのです。4千年もの昔から演劇はあり、何千何万という作品があるわけですが、汲めども尽きないのは人間性の追求です」(新井一「シナリオの技術」)