一掃
シナリオ・センター代表の小林です。今朝は、どこも大谷選手の記者会見で大騒ぎです。
エンゼルスへの気配りとか他人には優しく、お金にもきれいで、がっついたところはなく、愛犬への愛もありこんなに爽やかな若者がいるって、素晴らしい。久しぶりに笑顔で観れる会見でした。
このところ朝から不愉快になっていたので、爽やかな朝を迎えられた今日は、何かいいことありそうな。
それにしても、カネ、カネ、カネばかり、しかも汚いカネに執着する醜い大人たちを見ていると大谷選手の爽やかさは、一服の清涼剤です。
大体、国民対しては正確な所得はあくや財産管理などを目的にマイナンバー制度をゴリ押しし、面倒だけで国民に何も役に立たないインボイス制度が導入し、領収書などは1円単位での管理が求められているのに、この政治家のゆるゆるのゆるさはなんなのですか!
これほど国民がバカにされているなんて、断じて、ゼッタイ、許せないです。
しかも、反省するのではなく、見つかったことへの開き直りとも思える不愉快な発言も多々あり、めちゃくちゃ腹が立つ。
「全とっかえ!」と思ってしまいます。
政治家は様々な議員特権があることに加え、政治家の非課税のカネが裏金になっているって、どこまで勝手なことをやれば気がすむのでしょうか。
政治家も公務員なのだから、選挙に出る前に、議員として適正検査、議員としてふさわしいかどうか厳しい試験制度を設けませんか。
せめて社会の一般常識くらいは持っていないとね。
試験に通らないダメなやつは、世襲だろうが何だろうが、選挙に出れない。いかがでしょう。
ルールをつくる側がきちんとした人間ではなく、平気で法令違反を犯していれば、国民が政治不信になるのは当たり前。
この機にろくでもない政治家を一掃したいです。
発想
赤穂浪士の討ち入りの日、昨日12月14日に、出身ライターの土橋章宏さん原作・脚本の「身代わり忠臣蔵」(配給東映)の記者会見が大々的に行われました。
昭和まででしょうか。12月14日付近になると必ずと言っていいほど、映画とかテレビドラマで「忠臣蔵」をやったものです。
なにしろ、日本中の人が知っている、愛されている時代劇って、「忠臣蔵」だといっても過言ではありませんでした。
でも、最近は、歌舞伎くらいでしょうか、とんと「忠臣蔵」のお話しを見ることがないような。
そんな「忠臣蔵」が久々に帰ってきます。ただ帰ってくるのではありません。
あの「超高速!参勤交代」でアカデミー賞最優秀脚本賞を受賞された土橋さんです。あの驚くべき発想を「忠臣蔵」でも見せてくれます。
同じ題材でも、発想、切り口が変わると全く今までと違う「忠臣蔵」が出来上がるという見本のような映画です。
記者会見で土橋さんは
「忠臣蔵は、日本の代表的コンテンツであり、伝統が詰まっている世界に誇るコンテンツ。
現在の価値観で撮ったらどうなるかと考えた。あと、若い人は忠臣蔵を知らない人も多いので、誰が見てもわかる忠臣蔵にしたかった。
ほとんどやられてこなかった吉良側の視点でやろうと、視点が変われば、忠臣蔵と言えども色々な見方ができると。
また昔は長男が大事にされてきたが、次男から下の親ガチャに敗れてしまった人が、上の立場に立ったらどうなるのか」(抜粋)と映画化への様々な視点を語っていらっしゃいました。
発想ってこういうことだと思うのです。
同じ題材でも、視点を変えると全然違うものになります。
忠臣蔵は、特に歌舞伎を見るとよくわかるのですが、誰にスポットを当てるかによって、また長編のどの部分を取るかによって、様々な舞台ができています。
私の好きだった吉右衛門丈の十八番「松浦の太鼓」では、吉良家の隣にいる松浦侯が討ち入りを今か今かと待ち望んでイライラしている話ですし、「仮名手本忠臣蔵」は十一段まであり、段ごとにそれぞれの視点でのお話になります。
映画やドラマでも女性からの視点で描いた「女忠臣蔵」や「決算!忠臣蔵」とか切口が変わったものができます。
今回、土橋さんは次男、実は吉良上野介には弟がいたという発想から作られたようです。
発想、視点、切口、新たなドラマを創りだすために大事な要素です。
例えば「桃太郎」でも、桃からうまれたためにいじめられていたとか、犬アレルギーだったとか、意気地なしだったとか、不良だったとか、村八分にされていたとかちょっと考えてみると、お話しは違ってきますよね。
作者自身が創りたいものを深堀りして、ご自分の視点を創り上げてください。
あなただけの視点は、こうして生まれます。