助
シナリオ・センター代表の小林です。暑さ寒さも彼岸までといいますが、今年はどうでしょうか。
今朝は緊急地震情報にびっくり。久々にドキドキしました。ここのところ、関東地方も地震が多く心配になります。
地震災害のたびに「明日は我が身」とは思っているのですが、昨今は災害そのものよりもそれ以上に気になることがあります。
地震災害は人知の及ぶところではないので、いつどこに起こっても仕方がないとは思っているのですが、昨今気になるのは、地震後の国や自治体の対応です。
能登半島地震をみても、地元の人それぞれは復興に向けて頑張っていらっしゃるのですが、口先ばかりで実際に動かない国や自治体、動いたところで被災者の気持ちに添っていない実情を見ると、なにか事が起った時に、一番国や自治体があてにならないと失望感しかないのです。
私は、公助が一番必要だと思うので自助や共助で乗り切ろうとしない方がいいと思っているのですが、そうしているといつまでもなにひとつ進まず、助かる者も助からないし、災害関連死も増えたりしている現状を見ると、どうすればいいのかと思います。
税金も払わないお上たち、受けてはいけないお金すら返そうとしないお上たちをみていると、どうにもならないのだと絶望感しか湧きません。
どんな災害が起きても国が守ってくれると思えたらどんなに幸せなことでしょう。
心の声
最近、テレビドラマを見ていて気になることがあります。
何かというとモノローグを多用するドラマが増えていることです。わかりやすいと言えばわかりやすいのですが。ドラマはわかればいいというものでもないと思うんですが。
ドラマは「人間を描くもの」ですから、わからないからこそ面白いのではないでしょうか。
モノローグとは心の声を言います。
人物同士で取り交わされているセリフ以外に、登場人物の意識の底に流れる自己の声を聴かせる、心理的独白を、現実の画面の上に重ねる表現です。
モノローグには二つの使い方があります。
一つはその人物が誰かに向かって話しかける心の中の声。
もう一つは現実に他の人と対話していながら、もう一人の自己がそれと逆なことを考えたり、批判を加えたりする心理描写を描きます。
どちらにしても、本来現実ではありえないことです。
日常、話をしていて相手に気持ちがすべてわかるなんてことありませんものね。
「ドラマは人間を描く」と口を酸っぱくして言っているシナリオ・センターの基礎講座では基本的にはお勧めしていません。
ドラマとは、対立・葛藤・相克と言われます。
心の声を使ってしまうと、葛藤も薄まっていくように思います。
心の声を多用することは、あまりにも安易に見せすぎるような気がしてなりせん。
映像表現は見せることがとても重要なことなのです。
カメラという枠があるからこそ、ゴミの山に落ちたたばこの吸い殻の煙をアップにすれば、火事になるかもと見る側に思わせられます。
基礎講座で例に出す映画「ローマの休日」のアン王女の接見の場。
笑顔で接見しているのですが、実はすっかり飽きてしまった王女がスカートの下で靴を脱いでしまい、どこかへ転がってしまった靴を探しているシーンの話をします。シャレードの見本ですね。
「まだ終わらないの、いつまで続くのよ、飽き飽きだわ」と心の声を出さなくても、スカートの下での靴を脱ぎ、探す足だけで見事に見せることができます。
ニコニコ笑いながら靴を探しているオードリーヘップバーンのきれいなこと。
よくあるシーンですが、無理矢理別れようとする彼女を抱きすくめる彼、「やめて」といいながら手を後ろに回しだす彼女・・・心の変化がわかるシーンですね。
この心の中もわかるシーンこそが映像の特性だと思うのです。
安易に心の声で全部すませてしまうのでは、せっかくの映像表現の意味がないと思うのですが・・・。
うがち過ぎでしょうか。