秋の日
シナリオ・センター代表の小林です。今日で9月も終わり、余すところ今年も3ヵ月になってしまいました。
夏の気分がまだ抜けないせいかそんな風には全く思えませんが、確かに暗くなるのが早い、秋の日はつるべ落としです。
秋が短くなるのは、なんだか日本の風情がなくなるようで寂しいです。
枕草子が描いているように、秋には秋の、春には春の、四季それぞれに風情があり、「秋は夕暮れ・・・」をしみじみ味わいたいものです。
さて、これからの日本はどうなるでしょうか。新たな首相の下10月解散、選挙となるようですが、裏金問題も旧統一教会問題もスルー。能登の災害救済はどうするのでしょう。
結局、誰がお上になっても変わらないのか・・・。涙
でも、誰がお上になっても同じと思うのは違うと思うのです。
だから諦めるというのも違うと思うのです。
亡くなった坂本龍一さんもおっしゃっていましたが、諦めたらお終いですから。
国民が信頼できるような政治家は少ないかもしれませんが(遠慮がちに言ってしまった、いないというのはあまりに悲しいので)、それでも国民一人一人が自分の意志で選ばなければいけません。選ぶ権利を捨ててはいけません。
どういう人がいいのかは個人個人違うでしょうけれど、大事なのは国民に向いてきちんとした政治をしてくれる人ですよね。
旧統一教会や経済界と手を組んで自分の利権だけを考えている人とか党の言いなりの人は×ですね。
今回の総裁選も消去法で決まったとか言われていますが、悲しいことに「推し」となりうるような清廉潔白で行動力がある政治家などみたことないし・・・。
ただ少なくとも総裁選に敗れて「安倍さんに申し訳ないと」というような人は勘弁してほしい。
本来、本当に国をよくしたいと思って立候補したのなら一番に詫びるべきところはどこですか。国民に詫びるべきでしょ。
迷惑な終活
「高齢者小説シリーズ累計120万部・・・トドメの最新刊!」なんてすごい惹句でしょう。高齢者小説って・・・トドメって・・・。
内館牧子さんの新作「迷惑な終活」(講談社)です。
「終わった人」「すぐ死ぬんだから」「今度生まれたら」「老害の人」と定年からついに「終活」となりました。
確かに主人公は高齢者ですが、私は高齢者小説というよりは生き方小説、内館さんは、主人公やその周りの人たちを通じて、いつも社会そのものに、社会の風潮にモノ申しているのではないかと思いながら読んでいます。
若い方に是非とも読んでもらいたい。
「迷惑な終活」は、よくいわれる遺された子供たちや周りの人のための終活を考えている礼子に反して、夫の英太は自分が死んだ後のことは考えたくないところから始まります。
で、75歳の英太の終活は、高校の時に好きだった女の子の覗きをしてしまったことを謝りに行くことに。
こんな英太の終活がきっかけとなり、高校の同級生でタウン誌の元編集長で地元の有名人日出子や、好きだったあかね、落研の弘田、弟夫婦、そして妻の礼子たちがそれぞれの終活を考え始めるのですが・・・。
終活は、他人軸ではなく自分軸で考えるという、自分がどうしてもこれだけは実行して墓場に行く、憂いなくケリをつけることだと内館さん。
私も、この主人公と同じような年齢ですからとてもよくわかります。
実際に、仲良かった友だちもこの2年で3人も亡くなりと、死も身近になってきてはいますが、だからこそ、どう楽しく生きるかということを考えます。
自分ができることはできる時にやらねばと。
延命治療はしないとか使える臓器は使ってほしいとか伝えておかねばならないことは伝えますが、あとは好きに生きて、「楽しく生きたよ」と死ぬ時言えたらいいなぁと思っています。財産はないので相続のもめごとの心配もないですし。
英太を見ていたら、新井一を思い出しました。
時はバブルの絶頂期、「相続税が大変だから借金しとけ!」と保険会社と銀行からヤイノヤイノ言われた時「俺が死ぬことなど考えるな!」と普段まったく声を荒げたことのない人が一喝。
保険屋さん銀行マンも這う這うの体で逃げ出したいきさつがあります。
その時生きるということはそういうことなんだなぁとひどく感心しました。
新井一は、死ぬ直前までシナリオとシナリオ・センターと共にありましたから。
私はごめんなさい。新井のようにシナリオ・センターのためだけに生きるまではいかないです。(笑)
今やりだしていることは「未来を担う子どものために、未来を壊そうとする大人と戦う」こと。
これが私の終活になるのかもしれません。