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しゃれおつなお店や人々が行きかう街、表参道。そこで働くシナリオ・センタースタッフの見たもの触れたものをご紹介します。

ドラマ制作会社を経て脚本家に/武石栞さん
『戦国サウナ』『嘘解きレトリック』

シナリオ・センターには、映画会社・テレビ局・映像制作会社など映像業界で働きながら脚本を勉強されている方がいらっしゃいます。

スマホ特化型縦型ショートドラマ時代劇『戦国サウナ』(※シナリオ・センター出身の秋吉真由美さん 、やすなお美さんも脚本ご担当 )や、2024年10月期ドラマ『嘘解きレトリック』(原作:都戸利津さんの同名コミック)の脚色を担当された武石栞さんもそのおひとり。

ドラマ制作会社でアシスタントプロデューサー(AP)として働きながら、シナリオ・センターへ。その後、脚本家に転身されました。

「いま映像業界で働いていて、職種は違うけど、いつか脚本を書きたい!」という方。今回ご紹介する武石さんのコメントを参考にしてください。

アシスタントプロデューサーから脚本家に

*

ドラマ制作会社を経て脚本家に/武石栞さんに聞く

――なぜ脚本家になろうと?

〇武石さん:大学が映像学科で、映像制作だけでなくコンテンツプロデュースを幅広く学ぶうち、テレビドラマのプロデューサーになりたいと思うようになりました。卒業後、東京の映像制作会社の募集に応募し、運良く採用されました。

APとして現場に付き、ドラマのメインキャスティング、子役のオーディション、現場のスタッフィング、予算組み、映像の編集やPRまでほぼすべてやらせていただきました。

お伺いを立てたり調整したりする機会が多い仕事ですが、その中でも主張し戦わなきゃいけないときがあります。でも、周りを気にして自分を出せないことがよくありました。身体を壊したこともあって、「自分のキャパシティが意外と小さいんじゃないか」「これでは自分が思い描くプロデューサーにはなれないのではないか」と悩み始めました。

ちょうどその頃、コロナ禍となり、しばらく仕事が止まったんです。家でたくさんの映像作品を観ていたら、アウトプットがしたくなって。で、シナリオ・センターのシナリオ作家養成講座を受講したら、より書きたくなりました。

そこで仕事を一度辞めて、30歳まではシナリオに専念してみようと決断しました。退社して、派遣の仕事をしながらシナリオ一本に絞って書き始めました。

――その後はどのようにして?

〇武石さん:会社を辞めてからも気にかけてくださるプロデューサーがいて、企画書やプロットを出すようにしてました。

そんな中で知り合いの助監督を通じてプロデューサーの川西琢さんをご紹介していただき、その後、『戦国サウナ』のお話をいただいたき、これがデビューとなりました。

=『戦国サウナ』あらすじ==
徳川家康に誘われて初めてのサウナを体験する織田信長だが、全くその魅力が分からず、熱い熱いと文句ばかり。しかし、そこでのちの妻となる熱波師の帰蝶、のちの豊臣秀吉、そして明智光秀らと出会い、天下人としての自らの宿命に目覚めることに。しかしそこに立ちはだかったのは、サウナのVIP・今川義元だった――。

〇武石さん:当時は「ショートドラマをどう書いたらいいか分からない、でも、別に失うものはないし、好きに書いてみよう!」と書いて出したら、キャラクターが生き生きとしていると褒めていただきました。まずは素直に書いて、そこから面白くしていけばいいんだと気づき、自信になりました。

――『嘘解きレトリック』はどのようにして?

〇武石さん:はじまりは『戦国サウナ』でお世話になったプロデューサーの川西さんからのお声掛けです。

川西さんとともに『電車男』(2005年/フジテレビ)を手掛けられたプロデューサーの鈴木吉弘さんが、20代後半くらいの主人公の話を作るので、その年代の取材ができる女性を探している、と。「どうですか?」と聞かれたので、「なんでもやります!」という感じで受けました(笑)。

その作品のキャラクター作りの会議に参加して意見交換をするうちに、「構成やプロットを書いてみて」と。で、そこから「実は、別件なんですが、“月9”に脚本家として参加してもらえませんか?」と。

どうやら企画・構成段階で私を気に入って可能性を感じていただけたようで。衝撃で信じられなくて。最初は、何かの間違いなんじゃないか、私が書くなんてないないない、みたいな感じでしたが、このチャンスは絶対に掴む!という覚悟でお受けしました。

=『嘘解きレトリック』あらすじ==
舞台は昭和初期。田舎の村に住む浦部鹿乃子(うらべかのこ)は、物心ついた頃から人の嘘が聞き分けられるようになっていた。しかし、その力のせいで村人たちから忌み嫌われてしまう。母・浦部フミは鹿乃子を庇うものの、これ以上母親に迷惑をかけられないと鹿乃子は村を出ることに。鹿乃子が辿り着いたのは九十九夜町(つくもやちょう)。空腹で行き倒れたところを貧乏探偵の祝左右馬(いわいそうま)に助けられる。左右馬は鹿乃子の能力を「探偵として素晴らしく便利」と言い、行く当てのない彼女を探偵助手として受け入れる――。

「今できることを一生懸命やっていれば」

――『嘘解きレトリック』を脚色された際、シナリオ・センターで学んだことで役立ったことはありましたか?

〇武石さん:私が担当させていただいたパートは特に「登場人物の心情」が大事だったので、研修科ゼミの岡田講師に習ったように、ドラマの“入口”と“出口”での感情の変化や、「今このセリフに対して、こんな気持ちになったり、こんな表情になるのだろうか」「そのとき、どんな気持ちのなのか」というのを、常に意識しながら書いていきました。

特にセリフは随所で悩みました。セリフで説明しないと分からないところがあって、私としてはこれがベストだと思っても、監督から「説明セリフで面白くない。感情が出ているセリフにしないと」とご指摘いただいたことがありました。

例えば「次は俺の番だな」のままだと説明セリフですが、「ずいぶん待たせるじゃねぇか」にしてみると、キャラクターが出ますよね。こういうことが大事なんだなと。

あと、研修科でよく言われた「書いたものは必ず音読してみる」というのも、現場で役立っています。キャラクターの立場に立って言ってみて、本当にその気持ちになるのか。また観客にはどう伝わるのか。エネルギーを使いますが、これも大事なことだと改めて思いました。

――最後に、脚本家を目指す“後輩”に向けたメッセージをお願い致します。

〇武石さん:いまできることを一生懸命やっていれば、どこかで誰かが見ていてくれる。腐らず諦めずやってきて良かったなと思っています。

企画書やコンペに落ち続けて、コンクールの一次も通らない、映像化された受賞作を観るのが辛かった時期もありました。でも、周りを気にせず、自分が書きたいものを書いてからのほうが上手く回り出しました。

皆さんも一生懸命好きなことを突き詰めたほうがいい。そうすれば、それを誰かが見ていてくれて、出会いのチャンスが訪れるのだと思います。

*     *     *

 

なお、『シナリオ教室』(2025年2月号)には武石さんのインタビューを掲載。
併せてご覧ください。
https://www.scenario.co.jp/online/34876/ 

※シナリオ・センター出身の脚本家・監督・小説家の方々にいただいたコメントも是非。
脚本や小説を書くとは/シナリオの技術を活かして

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