戦後80年
シナリオ・センター代表の小林です。表参道に雪がちらつきました。大雪の中で頑張っていらっしゃる方々のことを想えば申し訳なく、楽なもの、「さむ~!」なんて言っては恥ずかしい・・・といいつつも年寄には身に沁みる寒さです。(笑)
それにしても恥ずかしいお上はなんやかんや言い訳しながら、またまた核兵器禁止条約第3回締約国会議への日本政府からのオブザーバー参加を見送る方針を表明しました。
「日本被団協の皆様のノーベル平和賞受賞の意義も踏まえ、被爆者の方々とも共同しながら、被爆の実相の理解促進に一層取り組んでいく」って、口先だけでまたスルーして、どれだけ被爆者の方々を傷つければ済むのだと腹立たしい限りです。
世界中が、自分のことしか考えない人ばかりになり、高額医療費の件もそうですが、病気になっている人やその家族のこと等を考えもしていないで、なくそうとします。
それなら、まず世界で一番高い国会議員の歳費を下げることから始めてください、病気の人から蒲団をはぐような真似をしないで、上に立つ者がまず率先して身を切って見せてもらたい。
自分達は、のうのうと暖かい場所で、美味しいものを食べ、高級なお酒を飲みながら、寒空の中を震えながら生きる下々を裸にしようとする輩をなんとか排除できないものでしょうか。
映画全盛期
日曜日のぽかぽか陽気に誘われて、千代田区文化芸術フェスバル2025に行ってきました。
末広町にある「ちよだアートスクエア」は、千代田区立錬成中学の跡を使って様々なイベントを公開しています。
昭和100年の今年、作家集団の新井講師が、ご自分が保存されていた映画全盛期の古いプログラムを展示し、「日比谷・有楽町の劇場界隈を回顧する」という講演を行いました。
展示は、映画館、劇場ごとに、そこで上映、上演された洋画や芝居のプログラムの数々を展示して、古き良き映画の全盛期を楽しみました。
映画全盛期1958年の観客動員数は11億3千万人、日本の人口が1億満たない次代に、これほどの人が映画を楽しんだのです。
一般の人でも平均年間20本の映画を見ていたそうです。まさに映画は庶民の娯楽だったのですね。
映画やお芝居の変遷とともに映画、劇場なども変化していきました。今のようにシネコンというシステムではなく、映画館それぞれが個性的であり、上映する作品も特徴があったそうです。
シネコンはそこに行けば色々なものを選べて便利ですが、昔は映画館ごとに個性があって、そこに来る観客もそのカラーが出ていたということを懐かしく思い出しました。
ちょっと残念だったのは、おいでになっている方々が私を含めシニアの方がほとんどだったこと。
「故きを温ねて新しきを知る」そんな気持ちで若い人にも来てほしかったです。
過去を知らないと新しいものは作りだせません。過去を知ることで、今何が大事か考えることができるのです。
昭和100年の今年、シナリオ・センターは創立55周年。
過去があったからこそ今がある、そんなことを映画館の歴史と共に考えていました。