いのち
シナリオ・センター代表の小林です。昨日は、ウクライナ侵攻3年目にあたります。アメリカの出方が変化して、どんどん見通せない現状にウクライナの人々はどんな思いでいるのでしょう。
私は戦後生まれで戦争を味わったこともなく、物心ついた頃は高度成長へと向かっている、映画界も全盛の頃に育っているので、苦労というものをほとんど知らずに育ってきました。
なので、戦争の本当の悲惨さはわからないのですが、反対にわからないからこその不安と恐怖があります。
自分たちの利益を得るために、人の命を粗末に扱って欲しくないと強く思うのです。
今日の衆院予算委員会の中央公聴会に、ノーベル平和賞を受けた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の田中熙巳代表委員(92)が出席されて、核兵器禁止条約第3回締約国会議への日本政府の対応について「情けなく、残念だ」と。
政府は3月の締約国会議へのオブザーバー(傍聴)参加を見送ることを決定していることに対して怒りをぶつけていました。
田中さんは、「一番強く主張できるのは日本政府だ。役割を十分果たしてほしい。本当に情けない」と繰り返されており、「情けない」という気持ちこそ、本心だと思います。
私も本当にこのお上たちは情けない人々 だと心底思いますもの。
田中さんはまた、国の非常事態下で起きた被害は、国民が等しく我慢しなければならないとする「戦争被害受忍論」についても「市民の被害をどうするのか、今までの国会でも語られていない。市民に被害を我慢させるままの国防というのは絶対に誤っている」と強調されたとか。
まさにその通りです。公聴会での田中さんの言葉を受けて、お上たちは恥ずかしいと思わないのでしょうか。
デッサン
創立55周年のための会議を毎週事務局スタッフと重ねています。
こんなことしたら楽しいよね、こんなことしたら受講生の方々に喜んでいただけるよね・・・これらの発想の根底は「楽しく描き続けてもらいたい」
表現する力を持たないと、知らず知らずのうちに流されてしまいますから、こんな時代であればあるこそ、ともかく自分の頭で考え、心で想い、すべての表現を試みて欲しいからです。
私は、創作ってもちろん生みの苦しみはありますが、それはすべての仕事に、行いに通じることで、創作はこの上なく楽しいものだと思っています。
0から創り出すって、すごい冒険をしているような気がしませんか。
とはいえ、新井一は、「ストーリーは23通りしかない」と言います。型があるということは0出発ではないのでしょうか。
いえいえ、そうではありません。ドラマは人間を描くことです。人間は一人一人みーんな違う。だから絶対に、同じドラマは一つも生まれないのです。
しかも組み合わせによってどんどん広がっていく。これが創作の面白さなのですね。
55周年のイベントの目玉の一つ「20枚シナリオ新井一賞」が始まりました。
お題は「バトン」。同じ課題で、どれだけの方が違ったドラマを作ってくれるのか、楽しみですね。
しかも、新井一賞は、大先輩の柏原寛司さん、清水有生さん、岡田惠和さんという20枚シナリオを学んでプロになった方々が、選んでくださるのですから、嬉しいではないですか。
20枚シナリオ学習法を作りあげた新井はこう言っています。
「20枚シナリオはデッサンです。絵で言うならその対象物であるリンゴを見つめて描かなければ描けません。何故かというとデッサンの線は一つしかないのです。
シナリオも同じことで、セリフでも動作でも本物は一つしかないのです。そのひとつしかないものを見出すために、何本も何本も書くのです。だから20枚シナリオ50本というわけです。
したがって、デッサンは描くべからざるものであり、20枚シナリオが描くべからざるものとなるのです」と。
あなただけが描く「線」を見つけるための20枚シナリオ学習法ですが、「新井一賞」で、あなたの真価を問うてみるのはいかがでしょう。
授賞式は、10/24の創立パーティー席で行われます。