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代表 小林幸恵が毎日更新!
表参道シナリオ日記

シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。

昭和の爆笑喜劇シリーズ、心の底から笑いたい。

シナリオ・センター代表の小林です。昨日は日記を書く時間がなく、無断でおやすみをしました。ごめんなさい。 

昭和の喜劇シリーズ

東宝映画からDVD「昭和の爆笑喜劇」(講談社)シリーズ「てなもんや東海道」が送られてきました。新井一の脚本だからです。

この「昭和の爆笑喜劇シリーズ」は全50巻、随時書店で販売されます。
1作目はクレイジーキャッツの植木等さんの「ニッポン無責任時代」です。
クレイジーシリーズ、社長シリーズ、駅前シリーズ、てなもんやシリーズが売り出されるそうです。
この東宝喜劇が生まれたのは、昭和60年代。日本は高度成長の真っ只中。いけいけドンドンの時代でした。
東宝の喜劇は人気があり、クレイジーシリーズが30本、社長シリーズが32本、駅前シリーズが24本と、映画なのにまるで連ドラのようです。確か、シリーズものは年に2、3本ずつ上映されていたのではと思います。
60年代は映画量産の時代でした。2本立て興行が主体で、3本立てのところもありました。だから、たくさん作品が必要で、新井も企画部長の傍ら、併映用の映画を書いていました。
映画とテレビのシナリオを月に5、6本も書いていた時期もあり、さすがに疲労のため肝臓をやられ入院治療を余儀なくされたこともあります。 

 

この「てなもんや東海道」は、大人気のテレビ番組「てなもんや三度笠」を映画化したものです。
藤田まことさんのあんかけの時次郎と白木みのるの珍念のコンビが行き先々で珍道中を繰り広げるドタバタ喜劇です。
1962年当時は、テレビの黄金時代の幕開けで、日曜の夜は6時から「てなもんや三度笠」6時半から「シャボン玉ホリデー」というのが多くの定番視聴コースでした。私も毎週楽しみにみていたものです。
『俺がこんなに強いのも当たり前田のクラッカー』という流行語もうまれました。
本当に喜劇が山ほどうまれた時代でした。 

 

今思うとなぜ、あの頃あんなに喜劇がヒットしたのでしょうか。
戦争の苦しい時代からやっと抜け出して、高度成長へと走っていくためには、お笑いという癒しが必要だったのかもしれませんね。
それにしても、本当におかしい、おなかをかかえて笑える映画テレビがたくさんありました。映画館で、手を叩いて笑っている人をずいぶん見かけたものです。
戦争への道を歩もうとしているかのような政治、復興の道もまだまだ見えない東北、どうにもならない福島の原発、竜巻に土砂崩れ、雷、水害これでもかの天変地異、リストラ、失業、故郷を失った人、家族を失った人・・・つらい思い、悲しい思い、しんどい思いをされている方々がたくさんたくさんいます。
こんな時代だから、おなかをかかえて心の底から笑える映画やドラマがあったらいいなあと思わずにはいられません。
理屈ぬきに笑えること、人間にとって必要なものだと思います。 

 


昭和の喜劇が次々とDVD化されています。喜劇を書きたいと思っていらっしゃる方は、この頃の喜劇をたくさんご覧になると、きっと「笑わせる」肝を見つけることができると思います。
シナリオの中で喜劇が一番難しいとされています。涙のツボは誰もが一緒ですが、関西関東の違いでもわかるように笑いのツボは千差万別。
自分が面白がらないことと笑わせようと思わないことがコツらしいですれどね。うーん、難しい。だからこそ、挑戦してみてください。

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