シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。
シナリオ・センター代表の小林です。あの驚くような暑さはどこへやら・・・。秋が「もう秋だもんね」と急に威張っているようです。
昨日「おらたち、あまちゃんが止まらねぇ」展のお話をしました。
このイベントもそうですが、「あまちゃん」の舞台「地元♪地元♫」でのイベントは当たり前ですが、何の関係もない視聴者、ファンが起こすイベントがすごいです。
「あまちゃんオフ会」だの「ファン大集会梨明日お台場店」だのあちらこちらで行われています。
朝見損なった人にネタをバラす「あまバレ」とか見てない人に「何で?」とつっかかる「あまハラ」という「あま語」もできています。
埼玉県が「海はないけれど夢がある」と言う埼玉アピールに対して、GMTのリーダー埼玉県出身入間しおり(女優 岡茉優さん)に感謝状を送ったというニュースにはびっくり。他の人ももらっているのかな、佐賀とか沖縄とか。
まあ、舞台の小袖海女センターが昨年8月の見学者が1909人だったのに、この8月は土日で1650人も訪れて嬉しい悲鳴というニュースは、さもありなんって思いますし、東北にとってはとてもよかったのではと嬉しい気もちになります。
挿入歌の「潮騒のメモリー」はオリコン2位、「暦の上ではディセンバー」は6位というのもうなづけます。私も気がつくと口づさんでいたりするし・・・。(笑)
もうすぐ最終回を迎えますが、心配されているのは「あまちゃん後ストレス障害」だそうで、あまちゃんが終ってしまったらどうにもならなくなるPASD(心的外傷後ストレス障害)も心配されているとか。
いやはや、ここまでくるか!ってかんじです。どういう現象なんでしょうか。
ドラマって、決していいお話をつくればヒットするわけではないと思うんです。作品って、それそのものだけではなく、そのときの状況とか、時代とか、文化とかが大きく作用しているんです。
「ほぼ日」で糸井さんが、「新しい市場のつくりかた」(東洋経済新報社刊)を書かれた三宅秀道さんとの対談をしています。
三宅「ぼくはモノづくりの人たちとつき合いが多いのですが、いろんな企業が「作るほう」と「市場から求められているニーズ」の「作るほう」の視点だけで頑張っちゃうことがよくあるんです。で、うまくいかない。」
糸井「「モノを作るほう」と「求められているニーズ」の両方が大事だと思っているのはぼくも同じなんだけど、ぼくは基本的にニーズの側、さきほどの例で言えば観客側から考えるんです。
だから商品を作るというときでも、ぼくは商品自体がまだできてなくても、「やりたいことや欲しいものがはっきりわかれば、たぶん大丈夫」と、考えるんです。」と話していられました。
「あまちゃん」も、きっと糸井さんと同じ考え方でつくられたのではないかと思いました。
余談ですが、三宅さんの本にクドカンのドラマを例にとって、プロデューサー主体とディレクター主体の物の創り方を書かれていますので、読んでみると面白いかと思います。
「あまちゃん」をご覧になった方は、ドラマはストーリーではないということがよくおわかりになったかと思います。
人間を描く・・・もう徹底して登場人物の魅力ですよね。端役まで魅力的に書かれていることがすごい。キャラクターが濃い、めちゃくちゃ濃い。
「おらたち、あまちゃんが止まらねぇ」展で、通信作家集団の大森さんが大吉さんを主役にスピンオフドラマを作ったそうですが、登場人物どの人をとっても面白いスピンオフドラマが作れるほど、濃いキャラクターが魅力のヒミツだと思います。
続編だろうが、スピンオフだろうが、なんでも永遠に作り続けられます。
なぜ「あまちゃん後ストレス障害」になると言う話が生まれるかといえば、それら登場人物が、私たちの日常にいる人のように入り込んでいるから、全然特別な人ではないのに、キャラが立っているからですもの。
さて、PASDから解き放たれるには、クドカンを超えるキャラ作りしかありません。