シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。
シナリオ・センター代表の小林です。本日は、友人の葬儀でした。
日記に書くことではないかもしれませんが、今日の私はそこから動きがとれません。お許し下さい。
30数年来の友人が、自死しました。
膠原病と闘いながら、仕事も家庭も地域社会貢献も友人関係も完璧にこなしていた人でした。
いつもポジティブに他人を励まし、どんなときにも笑顔を絶やさずリーダーシップをとっていた人でした。
葬儀には、厚生労働大臣、川崎市長からの弔辞がありました。
そんなポジティブでアクティブな人が自ら死を選びました。遺書もなく、発作的だろうとのことでした。
それだけにまわりは辛い。ご家族一人一人が、自らを責めていらっしゃいました。
ドライマウスの彼女は、唾液が出にくいので嚥下がしにくく、すき焼きを囲みながら「絹ごし豆腐じゃないと食べられない」とご家族に話したとき、「木綿だってかわらないよ」とご家族で笑ったそうです。そんな一言が傷つけてしまったのかとご家族は悩みます。
あのとき、あの一言、こうしていたら・・・、様々な想いをどうすることもできません。
いつもなんでもテキパキとやってしまう彼女は、体がだるい、目が見えにくい、痩せた、嚥下しにくい・・・と思いながらも、きちんとやるべきことをこなしていたので、彼女の辛さは、誰にもわからなかったのでしょう。
病気の痛みや辛さはご本人にしかわかりません。
人を想う、想像力とはなにかと考えます。
自分が痛みや悲しみを知っている人は、他人の痛みや悲しみがわかるとよく言われます。
経験していることは、自分のこととして受け止められるからですが、経験がなくてもなお、想像できる力こそが必要だと思うのです。
東北の方の、福島の方の、沖縄の方の・・・様々な他人の痛み、思いを想像し感じる力、それぞれが持ちたいものです。
シナリオを書くことは、想像力を広げる方法論として、誰ででもできる、書けるやさしく簡単なツールだと思います。
「福島原発の村から避難せざるをえなかった私」を想像してみてください。
「私のこの立場だったら、どう考える、どう思う」そこから想像力が生まれます。
ご葬儀の際、ご主人が「仕事も家庭も地域貢献もすべてこなし、素晴らしい子供を3人も立派に育ててくれました。今日もこんなにたくさんの友人に送られて、充実した人生だったと確信しています」とおっしゃっていました。
たくさんの友人の話を聞かれて、ご主人が彼女の日常を想像し、やっと整理し、到達したお気持ちだと思いました。
本当にたくさんのご友人がお見送りしていました。
最後の彼女のお顔は晴れやかでした。
それだけに、ただただせつなく、心の折り合いがつかないまま、一足先に逝かれてしまった空虚感の中に、今日は閉じ込められています。彼女の想いを想像しても想像してもなお、なんでと・・・ごめんなさい。合掌。