シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。
シナリオ・センター代表の小林です。来年の創立45周年と新井一生誕100年のパーティー会場探しに奔走しています。
20周年からずーっと東京會舘でやらせていただいていたのですが、なんと来年1月でリニューアルのための取り壊しということで、使えなくなりまして。というわけで、急に会場探しの旅に出ている私です。
来年、楽しいパーティーができるといいのですが。
森下佳子さんが向田邦子賞を受賞の朗報をお聞きしてからというもの、向田さんの本が久々に読みたくなりました。
本屋に立ち寄ったら「爆笑問題」の太田光さんが「向田邦子の陽射し」(文春文庫刊)という本を書かれていました。
文庫だったので、早速読ませていただきました。
なんとなんとシナリオ・センターの名前が2か所も出てきたんです。ちょっと嬉しくなりました。ありがとうございます、太田さん。
太田さんがまだ学生の頃でしょうか、シナリオ・センターのシナリオ作家養成講座に受講されていらっしゃったそうです。
後藤所長によると、静かに後ろの方で、あまりほかの人とも交わらずに授業を受けていらしたとか。
「阿修羅のごとく」のシナリオについて太田さんは、
『 <シナリオ>
〇竹沢家・茶の間
恒太郎のコートにブラシをかけているふじ。
ふじ、小学唱歌をのんびりとうたっている
ふじ「♪でんでんムシムシ、かつむり」
ポケットの中からミニカーがひとつ転がり出る。
ふじ黙って、手のひらにのせてしばらく見ている
ふじ「♪おまえのあたまはどこにある」
ふじ、畳の上を走らせたりする。
いきなり、そのミニカーをふすまに向かって力いっぱい叩きつける
襖の中央に食い込むように突き抜けるミニカー。
おだやかな顔が、一瞬、阿修羅に変わる。
ミニカーは夫の愛人の子の玩具でしょうか。ミニカーをふすまに叩きつけたとき「一瞬、阿修羅に変わる」というト書がありますが、普通ト書に文学的表現は使いません。
僕もシナリオ・センターに通っていたことがあるんですが、演出できなくなるから文学的な表現はダメだと習ったんです。それは最初の授業で習うことなんです。
向田さんのは文学的ですね。
シナリオを文学として読ませるというのは、もしかしたら向田さんのサービス精神というか遊び心というか、そこまであったんじゃないかなという気がします。
ちょっとお約束を破っているくらいですね。だけど、それが演出にうまく反映したんだろうと思います。』と書かれています。
私もこのドラマをリアルで見たときは、まだ若かったのですが、普通のお母さんが、一瞬本当に阿修羅のごとくメラメラ怒りに燃えわる姿に変化する、鳥肌が立ったのを覚えています。
「向田邦子の陽射し」は、太田さんの向田邦子さんへのほとばしるような愛情がバシバシ感じる本です。(笑)
本当によく読み込んでいらして、細部にわたり観察し、分析されていて、「なるほどなあ」と感心しながら読ませていただきました。
私個人としては、向田さんのドラマ「だいこんの花」が大好きでした。
森繁久彌さんと竹脇無我さんの父息子のやりとりがもう抱腹絶倒。それでいて、胸がちょっと痛くなる。
「だいこんの花」には太田さんはふれていなかったですけれど、たぶんリアルに見られた年代ではないですものね。
太田さんは「寺内貫太郎一家」をあげていらっしゃいますが、私も「七人の孫」「時間ですよ」「だいこんの花」などの一連のホームドラマで、何気ないできごと、かかわり、ちょっと笑えてちょっと泣けるひととき・・・本当にどこにでもある家庭の一コマをさりげなく、でも、心になぜかぐっと響くドラマを書かれていた向田作品が大好きです。
私にとっては「さりげなくみせて、ぐさっとするどい」というのが、向田さんの魅力だと思っています。
それは、太田さんがおっしゃっているように、人間を一面で見ていない向田さんの視点があるからこそ生まれてきたものだと思います。
受賞された森下さんの「ごちそうさん」もまさにそうだったと思うのです。